精神的な道を歩んでいる人の多くは、“本当の自分、真我とは何か?“、ということに関心を持っているものでしょう。
で、ある“スッバらしい“思いがもたげてきたとして、それが真我から来ているのか、偽我?から来ているのか、分からないと考えたりとか...あるある?!
私もご多聞にもれず、ありますが、まあ、そういうことは考えても分からないですね。
だけど、この何が本当か、真実か、正しいか、そうでないか、間違っているか?、という問いかけ自体が、そういう観念的な方に意識を向かわせてしまうのではないでしょうか?
そこに余計な意味付け、価値付けが加えられてしまうのです。
それについて考えないとならない...そして考えて真か偽かと、結論を出そうとします。
これと関連して、自分が本当にやりたいことは何なのか、何に本当に惹かれているのか?、ということにも考えが及びます。
いやいや、そういうことは難しく考えんでも分かりませんか?、理屈じゃないということが!...
そのことを考えるということは、一度や二度は本当にやりたいことをやったことがあるということじゃないですか?
それは、まったく単純に自分が好きなことじゃないですか?(これは、その場限りのアルコールとかニコチンとかHなこととかの快楽のことじゃありません!)
人に聞いたら“何だ、下らない!“ことかも分かりませんが、自分のことですよ、赤の他人に聞いてどうする?!
これは、全く感覚的なことなのです。好きなこと、惹かれてやまない...それが意識が自ずと向くということなのです!...自然とそうなる、そうならざるを得ない!
そして、そうなっている自分というものに、何が真で、正しいのかは分からないが、本当の、本来の自分らしさというものを見い出すことでしょう。
そこに安らぎがある、平安、幸福がある!...“自然に...幸福になる“...これが決め手なんだ!
“それに何の意味があるのか?“、って?...幸福でなきゃ何の意味も無いだろう!
考えんでも、結論をひねり出さんでも、もう出てるようなものではありませんか?
分からなくてもいい、感じていたらいいのです。
“真我というものは、自分の自然な、本来の状態のことである“、と説いたのは、ラマナ.マハルシでした。スッバらしい!
この真我を、あまり知られていないことだけど、“本来の自己“という風に訳した玉城康四郎先生もスッバらしい!
私的には革命的なことです!...真我の探究という、どこまで続くのかしれない、迷路のような道をさまようことも無くなったようです!...
で、ある“スッバらしい“思いがもたげてきたとして、それが真我から来ているのか、偽我?から来ているのか、分からないと考えたりとか...あるある?!
私もご多聞にもれず、ありますが、まあ、そういうことは考えても分からないですね。
だけど、この何が本当か、真実か、正しいか、そうでないか、間違っているか?、という問いかけ自体が、そういう観念的な方に意識を向かわせてしまうのではないでしょうか?
そこに余計な意味付け、価値付けが加えられてしまうのです。
それについて考えないとならない...そして考えて真か偽かと、結論を出そうとします。
これと関連して、自分が本当にやりたいことは何なのか、何に本当に惹かれているのか?、ということにも考えが及びます。
いやいや、そういうことは難しく考えんでも分かりませんか?、理屈じゃないということが!...
そのことを考えるということは、一度や二度は本当にやりたいことをやったことがあるということじゃないですか?
それは、まったく単純に自分が好きなことじゃないですか?(これは、その場限りのアルコールとかニコチンとかHなこととかの快楽のことじゃありません!)
人に聞いたら“何だ、下らない!“ことかも分かりませんが、自分のことですよ、赤の他人に聞いてどうする?!
これは、全く感覚的なことなのです。好きなこと、惹かれてやまない...それが意識が自ずと向くということなのです!...自然とそうなる、そうならざるを得ない!
そして、そうなっている自分というものに、何が真で、正しいのかは分からないが、本当の、本来の自分らしさというものを見い出すことでしょう。
そこに安らぎがある、平安、幸福がある!...“自然に...幸福になる“...これが決め手なんだ!
“それに何の意味があるのか?“、って?...幸福でなきゃ何の意味も無いだろう!
考えんでも、結論をひねり出さんでも、もう出てるようなものではありませんか?
分からなくてもいい、感じていたらいいのです。
“真我というものは、自分の自然な、本来の状態のことである“、と説いたのは、ラマナ.マハルシでした。スッバらしい!
この真我を、あまり知られていないことだけど、“本来の自己“という風に訳した玉城康四郎先生もスッバらしい!
私的には革命的なことです!...真我の探究という、どこまで続くのかしれない、迷路のような道をさまようことも無くなったようです!...
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