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人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

AIには分からないもの

2025-04-05 05:29:07 | 
私にとって惹かれてやまないもの、心から好きなもの...それは神である。...
なんて言っても、神など居るかどうか分からないし、捉えどころの無いものではないか?、と思われるかもしれません。
それはそうですよ。神は何かは分からない。だから何と呼んでいいのかも分からないので借りにそう言っているまでなのですが...それは誰が何と言おうと、私にとりアリアリと具体的に感じられるものなのです。逆にこんなに目の当たりに感じられるものは他に無い、と言えるのです!
これは、私には捉えることが出来ないが、捉えられてしまった、ということなのです。惹かれてやまない、とはそういうことでしょう。
しかし、こればかりは直接経験、感覚的なものなので言葉で中々伝えることは出来ません。今流行りのAIによるチャットGPTでも絶対に分からないものですよ。こんなにアリアリと感じられるものなのに!...
勿論、最初からそういうものがハッキリ分かっていた訳ではありません。
初めてその神的なものの現臨感を覚えた数十年前の頃は、多く高揚感を伴う、手の辺りから広がる、ある暖かみとして感じられたものでした。それに愛というものを感じずにおれないのです。
しかし、それも常在するもののように定着することなく、一年半くらいで消えてしまい、それからはスッカリ分からなくなった時期が続きましたが、二十数年前に復活して、“おお...これが神の現臨というものなのか!“と感じられるようになったのです。
それがもっと具体的に“これなんだ!“と感じるようになったのは、このブログを始めるようになってからの七年半くらい前のことでした。
それは、それまでどうしても分からなかった、ラマナ.マハルシが常々語っていた、“ハートが真我の座である“、というそのハートの辺りに収斂されるようにも感じられるようになったことなのです。よりそこに愛というものが実感されるようになったのは言うまでもありません。
私は、そのように、“私が心から好きなものは神様です!“と、こう言えるのですが、それは人それぞれであり、ある人には愛する人だったり、ペットだったりするのでしょう。
私もね、普通の人間なのですし、他のものに浮気して最愛のものが移ってしまうことだって...無いですね!、ええ!...
いや、そのようなことになる場合は、その好きな対象が神になるだけです。その形あるものの向こうに神的なものの愛を感じるのです。
又、その形あるものはいつかは消えてしまうし、又他のものに対象が移ってしまうこともあるかもしれません。
しかし、その背後に感じられる神的な愛はずっと感じられるはずなのです。そしてそのことを深く意識するならば、その形の無いもの、そのものが必ずや感じられて来るでしょう?
私はそれを言っているまでなのです。私はここで、私は神を愛しているし、神は愛であることを強く言いたい!
こう書いて、神の愛の何がしかのことが伝わったでしょうか?
チャットGPTに聞いても、なんかもっともらしいことを言って、分かったつもりにさせられるだけですよ!
あなたの本心、あなたの神に聞かなければ!...





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