人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神は知ることが出来ない

2021-07-28 11:53:31 | 
何ごとにおいても、先入観、固定観念というものを取り払わなければ、その真実を知ることは出来ません。
然るに、宗教やスピ関連のことは、目に見えず、捉えられないものに関わるものであるにも拘わらず、何故に決めつけた言辞で溢れかえってしまうのかが不思議でなりません。
その最たるものは、神についてのものではないでしょうか?
神は全知全能である。だから神にお願いしたら、何でも自分が望んだものを叶えてくれるはず...健康、富、調和ある人間関係などの自己の幸福の実現から、対外的には世界平和の実現など...そしてそれが叶わなければ、ますます望んでいることから遠くなってゆく様相を見せられたなら...しまいには、"神など存在しない"、否定されるに至るのです。
神はまるでご用利きであるかのようです(こりゃ、ホントにオッソロしいことじゃありませんかi)。
ここには、神によって実現されたり、されなかったりする目に見える、捉えやすい、我々に幸福をもたらすであろう事柄に意識が向けられているばかりで、神そのものには、向けられていないということがハッキリ分かります。
要するに神のことは何も分からないのです。
神は創造主であるとか、宇宙の支配者、その法則そのものであるとか、各宗教で信じられているように、勝手に想像されているだけなのです。正しくは、人間が"神の想像主"というべきではあるまいか?
神は知ることが出来ない...だから知る必要が無いとも言えます。つまり、分からないものは、分からないと認めなければならない、ということです。ここから固定観念から解かれる道が開かれるのです。
分かったつもりの人間は、自分が"コテカントロプス"の旧人類だということに気付かなければなりません。
しかし、神を求める人の中には、神は頭脳知によっては知ることが出来ない、ということを頭では分かっていて、"神を直接知る"ということがどういうことかが、何となく感じられている人も居るかもしれません。
"それはもしかして、人生でもっとも大切なことなのではあるまいか?"、と。
そう、これは知ることではなくて、感じられることなのですi
もし、本当に、ホント~にそう感じられるのでしたら、もっともっと"私は神のことは、何も分からないi"、ということに徹した方がいいでしょう。
"どうしたら神を直接知ることが出来るか"、ということよりも、"どうして神を直接知ることが出来ないのか"、ということを意識した方がいいかもしれません。
これは、微妙な違いのように見えて、結構大きなことだと思いますよi
分かろうとする自分が居る限り、神を知ることは出来ない...
一寸待てよi...分かる自分は、自分からはそういう自分を放棄することなど出来ないことも分かりますよね?
あなたは何も為すことは出来ないのですi...祈ること以外は...
"神よi、私はあなたのことが何も分かりません。どうかあなたご自身をお示し下さいi..."
こうして、自分を超えたものに意識が向く、向けられるという道が開かれるのです。
想像した神に何かの願い事をするのでなく、神そのものに意識が向けられるのです。
そして、神は、あなたを何も分からない、何も為し得ない状態に導くでしょう...
そして又、その時、自分が、多くの人間が神に対して向けていた、本当に救い難い無知(分からないものを分かったように思い込む無知)、それと裏表にある、神に願い、叶えてもらうものでなく、神と共にあることで与れる、本当に信じ難い幸福というものを全身全霊をもって知らされることになるでしょう。
それでも、神のことは分からないでしょう。それは隠喩的にしか言い表すことが出来ません。
しかし、もはやそれを分かろうとはしまい...頭だけでない、すべての私が頷いているのだから...




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