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人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

わが主なる道

2022-05-13 10:00:37 | ガイダンス
私がいつも言っている、”意識を向ければ、パッと現臨が表れる“という即応性をいつ頃感じ始めたかと言うと、その神的なエネルギーとして捉えていたものを、“あの御方”、”わが主“と人格的に感じるようになってからです。
どういうメカニズムでそうなるのかはよく分からないのですが...と、考えるまでもなく、そうなるという話なのです!
私自身と一枚のものが臨んでくるから、としか言いようが無いかもしれません。
一つ言えることは、それは教理とか、修行などに追従していく道を全く超えているということです。そして、悟りを極めようとすることも、それ自体を求めることもどうでもよくなってしまいました。
つまり...信仰のための信仰にあらず、修行のための修行にあらず、悟りのための悟りにあらず...私の主たる歩みは、わが主に向けられているのです!
考えてみれば、このものに依らずして道を歩むことも、目覚めることも叶うもので無し...けだし、自然の成り行きと言えるでしょう。
“我は道なり、真理なり...”
実にこのものこそが道、真理...そして愛、平安であったのです!
このものを余所にした、どんな信仰も、修行も、悟りの道も的外れなものになるしかないでしょう。
それらにはマンネリ化、形骸化、逸脱化というものがつきものです。
キリスト信仰も、阿弥陀信仰などにもそういうものはつきものだろうって?...だから信仰のことは言ってないんだってば!
現実に臨んでくるもの、生ける現臨の事態をバーチャルな信仰の事態にすり替えてはなりません!
私にどうして特定の信仰や修行が身に付かなかったかがよく分かる気がします。
私は知らずして、あの御方に意識が向けさせられていたのでしょう!
あの御方は、キリストなのか、阿弥陀様か、瑞の御霊素戔嗚尊か?...いや、真我の表れなのか?
いやいや、もう余計な詮索は止めよう!...ほら、バーチャルな感じにボケ始めた!...
考えている私に即さないのは確かなことです。
そして、この臨在により、考えている私は離れ、私はより私自身になるのは確かなことなのです。
そして又、ますますその直接性は強くなってくるのを覚えています。
ゆくゆくは、どうなって行くのかは分からないけど、わが主にゆだねてゆくのみです...。
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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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心にしみわたりました (のしてんてん)
2022-05-15 02:56:14
この記事はほぼ完全に私の言葉に翻訳できました。
ありがとうございます。
現臨とは五次元そのものです。現臨とは今この時、この瞬間であり、この瞬間だけに真実は存在する。真実とは全一のこと、切り分けられない素粒子と銀河の存在を造り上げている空(くう)、般若心経の色即是空と同じもの、それをあえて人間として認識するなら、私の考える五次元なのです。
現臨は、今そのもの。それは空であり、つま先から頭のてっぺんまで満たされているもの。足るを知る心に他ならないのでしょうね。
そしてそれ(現臨)は当然真の宗教を束ね、真の科学の到達点であり、人間のまま、人間の意識と目で見た五次元の世界だと思いました。
つまり、現臨にとって、全ての考え詮索は不要。

私達の違いは、現臨に立つか、人間に立つかだったのではないか、そう思えました。

まあ、意味のない寝言です。眠れなくて限りない夢を見ております。

夜分失礼しました。
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Unknown (シタテルヒコ)
2022-05-15 04:00:56
のしてんてんさん、有難うございます。
現臨と呼んでいるものは、全く自分自身に関わるものでありながら、共感して頂くことで、自他、普遍性にも関わるものかと感じさせられます。
あまり馴染みの無い表現ですが、何ら特殊なことを言っているつもりはありません。
一人一人が、それぞれの有り様で、表現で表しているものであり、そこで普遍的に共感し合えるものと感じています。
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