人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

道が開かれた!

2022-12-13 10:23:56 | 回想
私は昭和54年2月、宗教結社道院に正式に求修(入会)しました。
道院は、儒、仏、道、回、耶の世界の五大宗教の同源を説き、相対化してその本来性を失った宗教からその元となる一なる大道を開き、帰一する旨を説いているのです。
その道の伝達は、”フーチ”なる古来中国に伝わる、神人感合の自動書記によることで知られています。
ちょうど同じ頃、前年秋から購読していた、要之神伝(かなめのつたえ)と呼ばれる日月神示に相通じた、やはり自動書記による垂訓をまとめた冊子を出していた、兵庫県豊岡市にあった神業団体の名称が「太弥勒神光協会」から「光之道」に改称されるということがありました。
「これよりひらく光之道は、宗教に非ず元の道、神も仏も人民もこの光之道とおらねば、新の神世へ渡れぬと悟られよ」
と、道院と全く同様の趣旨のことが示されていたのです。
それからもう少し後になり、”キリスト道”を提唱する小池辰雄先生を知るようになりました。
「私はカソリックでもプロテスタントでも無教会でもありません。キリスト直結です」
”道とは、教えではない!...思念する、信じる私が居て、その対象としてその教えを信じ、従うという在り方ではない!
神は六次元だか何次元だか...全くどうでもいい!...所与の観念ごとをただ鵜呑みにするだけのことなど!...そんな字(事)理に囚われることはない!
直接つながるものがある!...暖かい!...じんじんと脈動が感じられる!...私の思いを超えた何かに”見そなわれている”感じがする!
こうゆう境地のようなものを目指して私は修行をやらなければならないのだろうか?
何をすればいいのだろうか?
何をするということもなく、意識が何かに向けられる!...向いてしまう!、もうつながっているのだ!”
私がいつもここで書いている、神的な現臨のことなどは、すべてこの頃芽生えたと言っていいでしょう。
あの精神の不安定な状態が大分治まって来たのと同時だったと思います。
まだ本格的に精神的な道を求めて、一年ちょっとという若輩者の分際で、何をノボセたことを言ってるのか?、と我ながら思いますが...改めて感じざるを得ません!
すべて見えない導きによっていたことを!
だから、このことを蔑ろにしたら、きっと又”お取り上げ”となるでしょう?
そして、確かに私にある”道標”のようなものが与えられたのは確かでしたが、それも形の上で相対化して、数多の宗教と同じ道を辿ることにもなりかねません。
どこまでも、道の本義に立ち返り、本体につながらなければならないでしょう。
道院の壇訓ではおなじみの言葉に曰く...
「道は片時も自己から切り離されることは無い」


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