太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

野菜売り場にて

2022-08-02 07:37:46 | 日記
スーパーの野菜売り場で、ケールを入れるのに、備え付けのプラスティック袋をロールから1枚切り、その口を開けようと奮闘していた。
年々、プラスティック袋の口が開けにくくなるのは、体中が乾燥して、指に脂がなくなるからだという。

「まったくもう、嫌になるわね、これ」

声を掛けられたほうを見ると、私の隣で同じように奮闘している人がいた。

「1度で開けられた試しなんてないよ」

私もそう返した。
指でダメなら、両手の間に挟んで揉んでみる。
それでもダメなら、野菜に水を振りかけるホースで指を少し濡らす。

「私にいい考えがあるのよ」

その人はまだ袋と格闘しながら言った。

「へえ、どんな?」

「家から既に開いた袋を持ってくるの。野菜はどうせ洗うんだから、使いまわしでいいじゃない。それを何枚かバッグに入れとくっていうの、どう?」

「それ、いいかも!今度はそうしてみる」

するとその人は、悲しそうな目をして私を見て言った。

「と思いついてから一か月以上。毎回忘れて、今日もこのザマよ・・・・」

私は黙ってようやく開いた袋を1枚あげた。
他人事とは思えない。
私も覚えていられる気がしない。まったくもって、しない。



宝毛の誘惑

2022-08-01 08:34:04 | 日記
中国系アメリカ人だと思われる、その女性が私のレジスターの前に立った瞬間、私の目は釘付けになった。
右頬の下寄りの部分から、10センチ以上はある毛が伸びている。
1本だけじゃない。
さらにその横2センチぐらいのところから、これまた6,7センチはあろうかという毛が伸びている。

中国では、そういう毛は幸運をもたらすと考えられているそうで(日本でもある地域ではそうであるらしい)、けして抜いてはならない。
過去にも、そういう宝毛を伸ばしている人を見たことはあったが、こんなに長く伸ばしている人は初めて見た。
中国人でも、若い世代の人にはその信仰はないように思う。


10センチ以上と、6,7センチの2本の細い毛が、風にゆらゆらとたなびく様は、凝視してはならないと知りつつも、気になって仕方がない。
あの先をつまんで、ピッと抜いてしまいたい衝動を抑えるのが苦しい。
火災報知器のボタンを押してみたい衝動より、ソレははるかに強い誘惑。
その人はお化粧するときも、洗顔のときも、宝毛が抜けないように細心の注意を払っているのだろう。


何を信じるも自由だけれど、この、いかにも頼りない極細の毛に我が幸運を託すなんて、私はチョットなあ。
何かを強く信じれば信じるほど、そのとおりにならないことへの恐れが強くなる。
友人の母親が方角を気にする人で、友人はまず熱海に寄ってから、海外に新婚旅行に行っていた。
友人自身は気にしていないのだが、そうしないと母親が納得しないのだった。

風水だって、そうだ。
そういう私も、離婚して、交際相手に振られて、このまま一人で老後か!という境地に立たされ、ありとあらゆることを試したときに風水にも凝った。
風水でこうするのがいい、とわかっていても、諸事情があってそれが叶わないとき、幸運を逃してしまうのではないかと恐れる。
台所に黄色いものがないと、不安になる。
だんだん、そういうことが窮屈になってきて、やめてしまった。

そんなことで私の幸せを左右されてたまるか、ってんだ

そんな気持ちになった。
私はめんどくさくなると、「えええい!!」と投げやりになる癖があり、
最初の結婚も、すったもんだの挙句、「えええい!」と仏滅を選んで浅間神社で挙げた。
それだからうまくいかなかった、という考え方もあるだろうが、うまくいかなかったから今がある、ともいえる。


何が、どうであろうと、自分だけが自分を幸せにできる。
どこかの誰かが言ったことを、簡単に自分の信仰にしない。
赤が好きなら、赤い財布を持てばいい。
赤い財布が悪いのではなく、赤は「赤字」の印、と決めている自分の信仰が、そういう現実を創るのだ。

昔、恋愛成就のために、一緒にセラピストに通っていた仲間の一人が、
「私、私の中の幸せになる力を信じる」
と言った一言が印象深く心に残っている。
彼女は理想の人に出会い、子供を授かり、幸せに暮らしている。