太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

諦めの皮製品

2021-12-20 16:00:04 | 日記
職場のクリスマスパーティが、職場の庭に大型テントを設営して開催された。
サンドレス風のものを着ていくつもりだが、夜になると肌寒くなるから、
レザー風のジャケットを屋根裏から出してきた。
キャメル色のレザー風ジャケットは、何年か前の誕生日に夫の叔母がくれたもので、
1度だけ日本に行くときに着ただけ。
細身で丈も短めで、合わせやすいので気に入っているのだけれど、ハワイじゃ着る機会があろうはずもない。

家の中では屋根裏は比較的乾燥しているので、洋服などの長期保管ができる。
しかし、そのジャケットが悲惨な有様になっていた。
表面に傷があると思って指で触ったら、そこからボロボロと剥がれてくる。
ハンガーにも、表面の素材がくっついている。
レザーオイルで拭いてみたら、艶は出たものの、ボロボロは広がるばかり。
「革ジャンなんだから、ボロボロでいいんだよ、ロックンロール!」
と夫は言うが、これはそういうジャケットじゃないから。

叔母がこれをくれたときに、
「この村で本革は無理だから、本物じゃないけどね」
と言っていた。
確かにこの湿気で本革は無理。
靴もベルトもバッグも、日本から持ってきた革製品はほぼ全滅だ。
本革のジャケットなんか高価だろうから、ダメになったらショックも大きい。

結局、ビロードの緑いろのジャケットを持って行った。
これだって、何年も前にシュートメにもらって以来、一度も袖を通したことがない。
私は昔から暑がりで、肌寒いぐらいでは長袖を着ない。
シュートメなどは薄手の長袖セーターや、フリースの上着などを毎日着ているけど、
私は寒くないし、なにより手首まで袖があると、うっとうしい感じがするのだ。

まだタグがついたままのビロードジャケットは、サイズもぴったりで、ドレスにもよく合った。


ハワイの気候に、皮は似合わない。
革靴を履くような服は着ないし、皮のバッグは触った感じが暑苦しい。
バッグは自然素材を編んだものや、布に限る。
それはそうなんだけど、パンプスや皮のバッグを普通に使っていた頃が懐かしくなる。
1足だけ、お気に入りだったローヒールのキャメル色の革靴が生き残っているが、それに合わせる服がない。
昔はよく組合わせていたスラックスを出して、その靴に合わせてみても、
今の私の顔にまったく似合わない。
この10年で、私もすっかり変わったのだろう。
スラックスも革靴も断捨離対象なのはわかりつつ、再び屋根裏にしまった往生際の悪い私である。




クリスマスライト通り

2021-12-18 16:53:58 | 日記
外食をした帰りに、うちの村ではちょっと有名なクリスマスライト通りを通ってみた。
100mぐらいの距離の道路をはさんで、家々が思い思いにクリスマスライトで飾るのだ。




音楽が流れているところもある。
コロナ以前は、巨大シャボン玉を吹く人が出ていたり、子供たちにキャンディを配る人もいた。

ここに来るたび思うのだけど、
毎年競いあうのも大変だろうが、こんな家にはさまれて、ひっそりと何もしない家もいくつかあって、
それはそれで気骨が折れるのではなかろうか。

設営や片づけ、大量のこれらを保管することなどを思うと、なまなかな意思では続かないと思う。
めんどくさがりの私はこうして眺めさせてもらうに限るのである。



危機一髪

2021-12-16 20:01:10 | 日記
肌寒くなってくると、寒がりのチーズケーキボーイのためにキッチンのストーブを温める。
こんな具合

ストーブの上にタオルを敷き、4つある電熱器を適度に温める。
ホカホカカーペットだな、これは。
寒いと、ストーブの上に座って、じーっと待っている。


夫と二人で出かけるというとき、支度をして玄関の外に出ると、私が
「あ、携帯電話忘れた」
と言って家に戻る。
こんなことはいつものことで、一発で出かけられることのほうが少ない。
いつも「ンもう!」と夫が言う。

先週の日曜日のことだ。
2人で出かける用意をして、玄関を出たところで、
私がブックオフで売ろうと思って用意しておいた本を忘れたことに気づき、再び家の中に戻った。

すると、キッチンのストーブから煙がもうもうとあがっているではないか!

出がけに温めた電熱器のスイッチを、ひとつ切り忘れていた。
猫は恐れをなして逃げており無事。
あわててスイッチを切り、タオルを取ると丸く真っ黒に焦げている。
もしもあのまま出かけていたら、家を燃やしてしまうところだった。

危機一髪とはこのことだ。

「もし私がしっかり者で、何も忘れずに出かけていたら火事だったね。うっかり者でよかったねえ」

「いや、そうじゃないでしょ。ストーブのスイッチを切り忘れたのは誰?」

亡くなった父や母が、私に知らせてくれたのかも、とも思った。
「気をつけなきゃダメだよ、あんたはおっちょこちょいなんだから・・・」
母がそう言うのが聞こえるようだ。

それ以来、夫も私もストーブを温めたら指差し声出し確認をすることにしている。
4つのスイッチを指差し、
「切った、切った、切った、切った」
と声に出す。
JRの駅員さんみたいだなあと思いつつ、何度も繰り返す念の入れようである。







オムレツにかけるもの

2021-12-16 08:17:18 | 食べ物とか
うちの朝食の定番メニューに、最近オムレツが加わった。
基本のメニューは、

・蕎麦ちょこに入った味噌汁(たっぷりのおろし生姜入り)
・湯豆腐(暑い時期には冷奴)
・フルーツ

夫がマイタケが好きで、最初は炒めて醤油で味付けしたマイタケに、スクランブルエッグを添えていたのを、卵でくるんでオムレツにしてみた。
2人ともランチに卵を持ってゆくので、いろいろ健康的にアレなお年頃でもあり、朝の卵は1個を二人で分けるようにしている。
1個の卵をオムレツにすると、オムレツというより卵巻きに近くなるけど。

このオムレツに何気なしにソースをかけたら、
「ああ!この味・・・・・!!!」
私は感無量になった。

母が作るオムレツには、ソースがかかっていた。
ひき肉と玉ねぎとニンジンなどを炒めたのを、卵で包んで焼く。
多少焼き色がつくまで焼くから、ふわふわのオムレツじゃなくて、しっかりした卵巻き風。
他の家ではケチャップ派がほとんどだというのを知ったのは、ずっと大人になってからだった。
こんなふうに、自分の家の味が他と違うことを後になって知るというのは、けっこうあるんじゃないかと思う。

余談だが、高校を卒業後に東京に出て、親子丼を外食で食べて驚いた。
私の知っている親子丼は、醤油味の鶏飯の上に焼きのりを散らし、
甘く煮たシイタケや、卵そぼろ、タケノコやニンジンを煮たの、彩に茹でたさやいんげんを乗せたどんぶり。
冷めても美味しいので、母が出かける用事があるときなどは必ず親子丼だった。
それは「静岡親子」というものなのだが、私はそれが全国一律の親子丼だと信じていた。



ある日、私はソースの上にマヨネーズを少し足してみた。
それを食べた夫が、
「あ!これ、鎌倉の味!!」
と言った。
昔、鎌倉に行った時にお好み焼き屋に入って、鉄板でお好み焼きを焼いたことがあった。
夫はあとにも先にも、お好み焼きを食べたのはそのときだけだという。
そうだっけ?
かわいそうに、今度日本に行った時にはお好み焼き屋に行こう。


毎朝、ソース味のオムレツ(もどき)を食べて、私は母を思い出す。







喪中

2021-12-15 07:55:14 | 日記
日本人の元同僚から、

「クリスマスカードを送ってもいいかな、喪中だよね?」

というメールが来た。
そういう風習があったのをすっかり忘れていた。
アメリカには喪中という文化はなく、夫に言わせると

「日本とは正反対で、身内を亡くしたからこそ元気を出してね、とか、
来年はすごく良い年になるよ、とか書いて励ますんだ。プレゼントもたくさん用意したりしてね」

ということらしい。
日本では、年賀挨拶欠礼のはがきを印刷したりして、わりとちゃんと喪中を守っている。
喪中とは、故人の死を悼み祝い事や贅沢ごとは慎む、という意味だが、
個人的には、アメリカの考え方のほうがしっくりくる気がしているので、友人には、是非カードを送ってねと返信した。



昨日で、父が亡くなって丸2年。
姉と義兄と妹で、お墓参りをしたという。
「2年後におかあさんまでいなくなってしまうなんて思わなかったよね」
姉がそう言って、
「でも、お父さんはおかあさんが来て大喜びだろうけどさ」
と付け加えた。
子供のように無邪気に喜んでいる父の横で、ちょっと困ったような笑顔で立っている母が目に浮かぶ。
両親も、私たちが喪に服しているより、普段通り日々を楽しく過ごしているのを見るほうがいいんじゃないかと勝手に思っている。