太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

嫌いな食べ物が好きになる理由

2019-12-02 08:39:48 | 食べ物とか
年をとるにつれて、嫌いだった食べ物が好きになる。

子供のころ、嫌いだった牡蠣やウニ。
味というより、見た目でダメだったのが、今は好物の上のほうに位置している。
若いころ、口に入れると「げー」となったオリーブの実のピクルス。
今は料理の中のオリーブを拾って食べるほど好き。

そして最近、とくに好きになったのが、コリアンダーだ。

コリアンダーは、タイ料理などによく使われる香菜で、
アメリカではシアントロという。(発音はサランチョロと聞こえる)
春菊なんかメじゃないぐらい強い独特な香りで、
若いころには、その香りが料理を台無しにするので、真っ先によけていた。
数年前まで、食べることは食べるが、自ら進んでは食べなかった。
それが、気が付けばシアントロが好物。
シアントロを刻んで、卵2個に混ぜてオムレツにして、毎朝食べている。
サラダにも入れる。
そんな話を友人にしたら、
「私もそうなんよ!!」
と言うではないか。
美味しいシアントロを探して歩きまわり、ようやくホールフーズで見つけたという。
シアントロを切らずにそのままかぶりつくほど好きらしい。
そういう彼女も、昔は大っ嫌いだったというのだ。

「若い時には嗅覚が敏感で、香りの強いものは避けるらしいねん」

ということは、年を取ると嗅覚が鈍くなるということか?
そういわれてみれば、ニンジンくささが際立つ、ニンジンのグラッセは
昔は嫌いだったけど、今は平気だ。
しいたけも、子供の頃は臭くて好きじゃなかった。
すき焼きに入れる春菊も、今は案外好きかもしれない。
ハワイで春菊が手に入ったら試してみよう。


子供がニンジンやピーマンを食べなくても、
放っておけばそのうち食べるようになるのだろう。
嫌いな食べ物が好きになるのは、老化が原因とはおもしろくないが
好きなものが増えるのは人生が楽しくなるので良しとする。








サンクスギビングデー

2019-12-01 14:34:24 | 日記
28日は、サンクスギビングデーだった。
学校はすべて、たいていの仕事や店はお休みになる。
この日はクリスマス同様、家族が集まる大切な日だ。
遠くに離れて暮らしている家族は、サンクスギビングデーかクリスマスの
どちらかに都合をつけて帰省する。

今年は、夫の叔母の家に集まることにした。
夫の両親と、叔父叔母、私たち夫婦と、友人母子、叔父叔母の友人夫婦に、
叔父の弟、そしてマイクも誘って12名のパーティだ。


叔母の家からの眺めは、手前の木々が育って、数年前に比べると
少し変わった。
穏やかないい天気。


2時半ごろから人が集まってきて、前菜をつまみながらシャンパンやワインが
すすむ。


七面鳥も、ちょうどいい具合に焼けてきた。
七面鳥の焼き方は、試行錯誤の結果、ホイルで包んでから
シャンパンを1本あけて、蒸し焼きにする方法が1番しっとりして美味しいということになった。
といっても私は見ているだけ。

2種類のマッシュポテト、2種類のクランベリーソース、ハム、ニンジンのグラッセ、
七面鳥の中に詰めたスタッフ。
デザートは、シュートメが焼いたルバーブパイとパンプキンパイ。
クランベリーソースは、クランベリーのジャムのようなもの。
甘いものをハムや七面鳥の肉につけて食べるなんて・・・・
と最初のうちは思っていたけれど、食べてみるとこれがなかなかイケる。
今ではたっぷりとって、ハムに乗せて食べている。
普通に甘いソースと、甘いがピリッと辛いのと2種類ある。

ルバーブは、ハワイに来て初めて知った野菜の一つ。
日本名は「ダイオウ」というらしいが、赤いセロリのような見た目をしている。
繊維が多く、独特の苦みがある。
このルバーブと、イチゴを合わせて煮て、パイの中身にするのだ。
いつだったか、山中湖に行ったときにルバーブが雑草のように生えているのを見たことがある。



食事が始まるのは、3時半ごろ。
我が家年末恒例の、ジグソーパズルに打ち込む人あり、
飲んで食べる人あり、話に夢中の人あり。
独居老人のマイクに電話をしたら、サンクスギビングデーはマクドナルドに行く、という悲しい話だったので誘ったのだけれど、
おしゃべり好きなマイクは、ずっと誰かとしゃべっていて、誘ってよかった。


私の友人は、私よりも前から、私の夫や義両親を知っている。
大学生の娘が4歳の頃からだから、15年以上になる。
日本の祖父母よりも近くにいる彼らは、友人の娘にとっては実の祖父母に近く、
私の友人にとっても親戚みたいなもの。
先日、その友人を誘って義父と私たちと一緒に映画を観に行ったとき、
義父が補聴器をしているのを見て、かなりショックだったといった。
義父は45年も歯医者をやってきて、歯を削る機械の高音を聴き続けていたために、
聴力が衰えるのが速かったと思うのだが、
最近、シュートメも時々補聴器をつけるようになった。

「会えるうちに会っておきたいから、絶対に(サンクスギビングデーに)行く」

友人の娘が言った一言に、友人は急激にさみしくなったという。
それは私も同じ。
私の両親が、年々どころか、半年単位で状況が変わってゆくのをみて、
若い若いと思っていた義両親も、来年はどうなっているかわからない、と思う。
「あの人たちに何かあったら、と思うと涙出てくるワ・・」
そう言う友人の目が、うるんできた。

サンクスギビングやクリスマスは、日本人にとっては元旦みたいなもの。
元旦の朝、お屠蘇で乾杯してお雑煮を食べ、
年賀状の束を父が仕分けしながらくつろいでいると、叔父や叔母たちが
次々にやってくる。
そんな、永遠に続くと思っていた平凡なことが、そうじゃなかったことに気づく。
あの時、もっとその幸せをかみしめておけばよかった、などと思う。

あと何回、こうしてみんなで笑って集まることができるだろう。
そう思うと、居ても立っても居られないような焦りに駆られるが、
ではどうやってこの大切な1日をかみしめれば後悔しないのかも、わからないのである。