10日ほど前に母が入院した。
前回のときは肺に水が溜まり、検査しているときに軽い脳梗塞もみつかったが、
半月ほどで退院し、グループホームに戻ることができた。
今回は、肺と心臓。
酸素をうまく取り込めず、ハイパーな吸入器に変えて様子をみている。
患者の延命措置について家族の意見を問われた、と姉から連絡がきた。
父のときにもそうだったが、今後、回復して再び普通の生活に戻れるのでなければ、延命措置はしない。
私たち姉妹はそう決めた。
たぶん父も母も同じ気持ちだと思うけれど、本人に確かめたわけではないからわからない。
生き死にを、子供であっても、自分以外の人が決めていいものだろうか。
私たちしか決める人がいないのだから仕方がないけれど、ぬぐい切れない疑問が残ってしまう。
今度ばかりは、母は退院できないかもしれない。
母にもしものことがあっても、私は母に会いに行くことができない。
成田空港まで、姉に車で迎えに来てもらわねばならないが、片道4時間以上。
実家にたどりついても、その日から14日間は自粛せねばならない。
GPSがあり、わりとしっかり確認連絡が入るのだと、日本に行った人が言っていた。
自粛があけたとしても、コロナで母に面会はできないから、結局行く意味がない。
姉が働いている総合病院に母はいるので、姉は会うことができるが、妹は会えない。
母には、もう会えないのだと覚悟をしている。
夫の叔父が、春先にジョージア州にいる母親を亡くしたのだけれど、行くことができなかった。
夏にあったメモリアルも、行くのをやめた。
コロナで、親の死に目に会えない人が案外いるのではないだろうか。
2年近く、母には会っていない。
母がいなくなってしまうかもしれない、という考えに、胸が苦しくなるほどの悲しさを感じないのは、母に会っていないからだろうか。
母が、じゅうぶんに生ききってくれたからだろうか。
けれど、母がいなくなったあと、実家に行って、母が残したものを見たら、私は号泣する。
数年前、母がデイサービスに通っていた頃、広告の紙でゴミ箱を折る方法を教わってきて、
夕食のあとでテーブルに紙を広げて折るのだけれど、脳細胞の病気のためか、折り方を記憶していられない。
折りかけの箱や、私が助けて折りあげた箱がテーブルに乗っているのを見て私が言った。
「おかあさん、こんなもの残してどこか行かないでよ、悲しくなるから」
すると母が笑って言った。
「まだ行かないよ。そのうちにね」
手芸や裁縫が大の得意で、私たちの洋服をたくさん作ってくれた母が、
デイサービスに履いてゆくズボンの裾上げをしようとして、履き口を縫い合わせかけたままにしてあったり。
老いてゆく過程で、徐々にいろんなことができなくなっていって、
まわりの助けが必要になっていって、本人も家族も、少しずつ心の準備ができてゆくのではないか。
眠る前に、母に話しかける。
幼稚園の遠足の、雪遊びでやったソリ、楽しかったよね。
同じころ、英語教室で生まれて初めて食べたピザ、おいしかったねえ。
私のおかあさんを一生懸命やってくれて、ありがとう。
おかあさん、ありがとう。おかあさんがしたいように、していいよ。
おかあさんが行きたいなら、行ってもいいよ。
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