太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

時計

2018-11-02 07:43:07 | 日記
我が家には、時計がない。

あるとき、ふと気づいた。

夫の両親の家にも、時計はない。

両親は寝室に小さなデジタル時計を置いているが、私達の寝室にはそれもない。

時刻を知るには、電子レンジの表示をみる。

ハワイはしょっちゅう停電があるので、そのたびに電子レンジの時刻表示はゼロ点滅してしまい、

その都度時計合わせをするはめになる。

寝室に置く時計には、私はちょっとしたこだわりがある。

秒針が動く音がするのも、デジタルのほのかな光も好きじゃない。

ジリジリという目覚まし音も、ピーピーという音も好きじゃない。

だから、目覚ましの音が変えられて静かな携帯電話を時計がわりにしているのだけれど、

居間に置く時計には、そういったこだわりはない。

それでも時計を置こう、というふうにならないのは自分でも不思議だ。






子供の頃、うちは誰かが家にいればテレビがついているような家だった。

テレビは時計がわりでもあった。

『おはよう!700(セブンオーオー)』という番組を朝の7時からやっていて、

見城みえこさんが司会をしていた。

『ズームイン!朝』が始まる前だっただろうか。

その番組の中で、ジョン・デンバーの「カントリーロード」が流れる。

冬の寒い朝、ガスストーブの前で着替えをしながら、小学生の私はカントリーロードを聞いていた。

今でもその曲を聴くと、見城みえこさんの笑顔と、ばたばたとした朝の空気を思い出す。


実家を出て、自分が中心の生活になったとき、

私は当たり前のように時計を買って、壁にかけた。

離婚して、一人暮らしになったとき、時計は消えた。

ほとんどの人々が携帯電話を持ち始めた頃で、時計がなくても困らなかったし、

時計を壁にかけようという心のゆとりもなかったように思う。

今の夫に出会い、一緒に暮らし始めたとき、

私はすっきりしたデザインの、駅にあるような白くて丸い掛け時計を買った。

ハワイに引っ越す時、その時計はほかの家具類と一緒に売ってしまった。



そして、かれこれ8年、電子レンジの時計表示だけで過ごしているというわけだ。

日本の実家に行くと、広くもない部屋に時計がいくつもある。

壁に、からくり風時計、ダイニングテーブルにデジタル時計、テレビの横に小さなデジタル時計、

両親の寝室に目覚まし時計、アナログが1つ。

そして目覚まし時計以外のすべてが、思い思いの時刻を刻んでいるか止まっており、

「いったい何時なんだかわかりゃしない」

と母が言うのも無理はない。

行くたびに電池を換えたりしてみるのだが、次に行くとまたおかしくなっている。

壊れているのだから捨てればいいのに、母は捨てることを許さず、そんな時計に囲まれて暮らしている。

寝室に見やすい大きな時計がほしい、と、母がこの後に及んで言い出して、

昨年行った時に大きな時計を買って、寝室の壁に掛けた。これでまた時計が一つ増えた。

その時計も、今はどうなっていることやら。



私の経験から言うと、子供がいる家には時計がある確率が高い気がする。

一人暮らしの、リーも、ベティも、夫婦だけのジュディスの家にも時計はない。

聞けば彼らも電子レンジが時計がわりだという。

時計をおかない理由を聞くと、「考えたこともなかった」「時計をおかないという信念はない」

「理由などない」といった答えが返ってくる。

いまや電子レンジは、おかずを温められる時計になっているようだ。

年をとっても、社会生活をしている限り時計は必要だと思うのだけれど、

なぜかこれといった理由もなく、いかにもな時計は年寄り世帯から消えてゆくのだろうか。














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