回転すしで思い出した。
回らない普通の寿司屋が苦手である。
と言っても、遥か昔に、その場の流れで仕方なしに何度か行った程度だが、行くたびに、もう行くまいと思う。
カウンター席につき、醤油皿と寿司をのせる木の台が出てくる。カウンターの向こう側には二人ぐらいの板前さんが、忙しそうに立ち働いている。
ものを知らない私は、何から頼めばいいのかがわからない。
いきなりウニなんて頼んだら邪道なのか、タマゴは好物だけど、いつごろ頼めばいいのか。
「エンガワをつまみでね」
中年の紳士が、慣れた調子で頼んでいる。
一緒に行った連れには、どう頼めばいいのか聞きたくない。私は二十歳そこそこで若く、変な意地があった。
今なら、「最初からウニなんか頼んでもいいかしら」なんて板前さんにしゃあしゃあと聞けるほどの面の皮なのに。
壁に掛かっているネタの札を眺めて、中トロあたりなら良さそうではないかと思う。
が、今度は、頼むタイミングがつかめない。
板前さんたちは忙しそうで、手のあいた隙に頼もうとすると、他のお客と話を始めたり、さあ今だ、と思うとくるりと背を向けて他のことをしたり。
タイミングを掴もうと、ジーっと板前さんたちの挙動を凝視している私に、連れが、
「頼まないの?」
と聞いてくる。
だから今頼もうと思ってるんじゃないよ!と心の中で言い、思い切って、
「中トロ、ください」
と言ってみる。
けれど、声が小さかったのか、誰も振り向かない。
もうここでお寿司なんかいいから帰りたくなる。
もう一度、「中トロ、ください」とボリュームをあげて言って、ようやく一人の板前さんと目が合う。
「へい、中トロ」
ようやくのことでお寿司が目の前に出てくる。
さあ、次は何を頼もうか。板前さんの挙動を監視し、と、以下同じことを繰り返し、帰るころにはヘトヘトになっている。
寿司屋の敷居が高いと感じるのは、私が若かったからだろうか。
あの緊張感は何だ。
恐怖のラーメン屋「再見」ほどではないにしても(「再見」の記事はコチラ)、居心地の悪さという点では似たようなもの。
いつだったか、東京の有名な寿司屋のドキュメンタリー映画を観た。
その店は何か月も先まで予約が埋まっており、静寂の中でカウンターについたお客たちが、出てくるお寿司を恭しく食べ、隣同士で「美味しいですね、さすがですね」などと小声で言い合ったりする。
まるで、ありがたく食べさせていただく、というような感じで、私はたとえ無料で連れていってくれると言われても、行きたくない。
余談だが、昔、フランス料理の高級な雰囲気のレストランに行った時、食前酒を聞かれた。
お酒はあまり飲まないし、どんな種類があるかもわからないので、唯一思いついたマティーニを頼んだ。
ウェイターが去ったあと、連れが
「女の人がマティーニを頼むのは、ちょっと変だよ」
と言った。
あの時代、スマホがあったら、その場で調べることもできたのに、私はそんなものなのかと思っただけだった。
そのことを思い出して、今の夫に聞いてみたら、
「そんなことないよ。何を飲もうがその人の勝手じゃん」
と言う。
そうだそうだ。何を飲もうが私の勝手じゃ。
女はマティーニを頼まないだなんて誰が決めた!決めたやつ連れてこーい!
と、何十年もあとになって息巻いた。
私はいまだに、ほんとの寿司屋で最初に頼んでいいものと悪いものが何かわからない。
この先、ほんとの寿司屋に行くことがあるとしても、暗黙のルールなんかどうでもよく、食べたいものを食べようと思っている。
ハワイには、元気寿司という回転すし(これは回っているらしい)があるが、それができる前に、夫がホノルルの寿司屋に行ったときのこと。
マグロ(ハワイではアヒ)を頼んだら、板前(現地人)が
「おまえはマグロを食べたくはない!」
と言って、別のネタを出してきたという笑い話のようなホントの話。
「寿司屋ってどうなってんの?」
まったく、どうなってんの。
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