3 サービス・デリバリー・システムの現状分析
この20年間の評価としては、紆余曲折があったとしても、日本独自のサービス・デリバリー・システムが構築されつつあり、それを高齢者から他の人々にも対象を広げていく方向性も見えてきたことにある。その意味では、将来的には高齢者に限らず、すべての生活上での課題を有した利用者を対象としてシステムへと集約されていくであろう。ただサービス・デリバリー・システムも、財源抑制の結果として、要支援者と要介護者に利用者を二分することで、介護保険制度でのサービス・デリバリー・システムは、その特徴である利用者の生活の継続性の支援を崩してしまった。要支援者と要介護者で窓口が異なり、前者は地域包括支援センター、後者は居宅介護支援事業所が対応し、ケアマネジャーが替わるだけでなく、サービス内容、アセスメント・ケアプラン票さえも変わることになり、生活の連続性を崩すことになった。再度、地域包括支援センターと居宅介護支援事業者が並列の関係から、地域包括支援センターが居宅介護支援事業者を含めてサービス・デリバリー・システムの全体をコントロールするようシステムへの変更が求められている。
さらに、サービス・デリバリー・システムの中味について、このシステムの中で、利用者が自己選択・決定していく仕組みを意図してきたが、第一には、ケアマネジャーが自己選択・決定を基礎にする支援ができてきたかである。ここには、ケアマネジャーの自己決定支援の力量不足もさることながら、利用者自身の自己選択・決定する意識が必ずしも成熟していないことも大きいと言える。この一例は、自己選択・決定を支援するために改正介護保険において作られた「介護サービス情報の公表制度」が十分に活用されていないことからも窺われる。利用者の自己選択を机上のものから、制度面と人材面から実質なものに変えていく努力が求められる。
具体的に、制度面では「介護サービス情報の公表制度」は単にサービス事業者に関する情報提供に過ぎず、具体的なサービスの質を評価するものとはなっていない。そのため、事業者間での競争原理が作用するような状況にはなっていない。同時に、利用者にとっては、得られた情報がサービス選択に寄与できるものではないために、低調なアクセス状況になっている。一方、人材面では、ケアマネジャーだけでなく、サービス事業者においても、自己選択・決定に向けての方法を確立していくことで、利用者の意識改革を図っていく必要がある。
また、契約してのサービス利用については、契約弱者である認知症等の権利擁護の仕組みを作り上げてきたが、その効果が問われることになるが、成年後見制度、日常生活自律支援事業(福祉サービス利用支援事業)、高齢者虐待防止法等でもって、この間対応してきた。
このことは、単に制度の充実だけではなく、地域を基礎にした仕組みが不可欠であるとの認識に至っている。ここでは、地域包括支援センターの一職種として社会福祉士が配置されたが、コミュニテイ・ソーシャルワーカーとしての役割を担いきれていない。それはミクロ領域の個々の利用者に対する相談援助活動がなされているが、マクロ領域の地域のネットワーキング機能については、現実には実施できていないのが現状である。具体的には、被虐待高齢者の発見、地域住民間での要援護高齢者の見守りや支えあいをいった生活圏域を基礎単位とした地域住民のネットワークをベースにして、個別的な支援としてのケアマネジメントの展開が求められている。
この原因は、ソーシャルワークには、マクロ領域での地域での各種のネットワークをつくり、地域での支えあいの仕組みを作っていく過程が理論的に必ずしも明確にされておらず、そのことが地域へのアプローチを弱くしている。そのために、社会福祉方法論研究者の責任は、マクロ領域での方法論をいかに確立し、それをソーシャルワーカーが実際に活用できるようにするかである。
さらに言えば、現状の保険財源の下で実施続けるべきかどうかの課題も露呈してきた.ケアマネジメントについては,利用者の介護リスクを越える生活リスクに応え,雇用,住宅,治安等を含めたセフティ・ネットのコーディネーションを行うことが,介護保険財源を活用することで可能かどうかの問題点が生じてきている.これは、効果的・効率的な支援を行うために,利用者の生活リスクへの対応やリスク予防に対してどのような相談支援ができるかが問われている。そのため、保険原理でケアマネジメントを実施していくことの矛盾が生じてきている。
この20年間の評価としては、紆余曲折があったとしても、日本独自のサービス・デリバリー・システムが構築されつつあり、それを高齢者から他の人々にも対象を広げていく方向性も見えてきたことにある。その意味では、将来的には高齢者に限らず、すべての生活上での課題を有した利用者を対象としてシステムへと集約されていくであろう。ただサービス・デリバリー・システムも、財源抑制の結果として、要支援者と要介護者に利用者を二分することで、介護保険制度でのサービス・デリバリー・システムは、その特徴である利用者の生活の継続性の支援を崩してしまった。要支援者と要介護者で窓口が異なり、前者は地域包括支援センター、後者は居宅介護支援事業所が対応し、ケアマネジャーが替わるだけでなく、サービス内容、アセスメント・ケアプラン票さえも変わることになり、生活の連続性を崩すことになった。再度、地域包括支援センターと居宅介護支援事業者が並列の関係から、地域包括支援センターが居宅介護支援事業者を含めてサービス・デリバリー・システムの全体をコントロールするようシステムへの変更が求められている。
さらに、サービス・デリバリー・システムの中味について、このシステムの中で、利用者が自己選択・決定していく仕組みを意図してきたが、第一には、ケアマネジャーが自己選択・決定を基礎にする支援ができてきたかである。ここには、ケアマネジャーの自己決定支援の力量不足もさることながら、利用者自身の自己選択・決定する意識が必ずしも成熟していないことも大きいと言える。この一例は、自己選択・決定を支援するために改正介護保険において作られた「介護サービス情報の公表制度」が十分に活用されていないことからも窺われる。利用者の自己選択を机上のものから、制度面と人材面から実質なものに変えていく努力が求められる。
具体的に、制度面では「介護サービス情報の公表制度」は単にサービス事業者に関する情報提供に過ぎず、具体的なサービスの質を評価するものとはなっていない。そのため、事業者間での競争原理が作用するような状況にはなっていない。同時に、利用者にとっては、得られた情報がサービス選択に寄与できるものではないために、低調なアクセス状況になっている。一方、人材面では、ケアマネジャーだけでなく、サービス事業者においても、自己選択・決定に向けての方法を確立していくことで、利用者の意識改革を図っていく必要がある。
また、契約してのサービス利用については、契約弱者である認知症等の権利擁護の仕組みを作り上げてきたが、その効果が問われることになるが、成年後見制度、日常生活自律支援事業(福祉サービス利用支援事業)、高齢者虐待防止法等でもって、この間対応してきた。
このことは、単に制度の充実だけではなく、地域を基礎にした仕組みが不可欠であるとの認識に至っている。ここでは、地域包括支援センターの一職種として社会福祉士が配置されたが、コミュニテイ・ソーシャルワーカーとしての役割を担いきれていない。それはミクロ領域の個々の利用者に対する相談援助活動がなされているが、マクロ領域の地域のネットワーキング機能については、現実には実施できていないのが現状である。具体的には、被虐待高齢者の発見、地域住民間での要援護高齢者の見守りや支えあいをいった生活圏域を基礎単位とした地域住民のネットワークをベースにして、個別的な支援としてのケアマネジメントの展開が求められている。
この原因は、ソーシャルワークには、マクロ領域での地域での各種のネットワークをつくり、地域での支えあいの仕組みを作っていく過程が理論的に必ずしも明確にされておらず、そのことが地域へのアプローチを弱くしている。そのために、社会福祉方法論研究者の責任は、マクロ領域での方法論をいかに確立し、それをソーシャルワーカーが実際に活用できるようにするかである。
さらに言えば、現状の保険財源の下で実施続けるべきかどうかの課題も露呈してきた.ケアマネジメントについては,利用者の介護リスクを越える生活リスクに応え,雇用,住宅,治安等を含めたセフティ・ネットのコーディネーションを行うことが,介護保険財源を活用することで可能かどうかの問題点が生じてきている.これは、効果的・効率的な支援を行うために,利用者の生活リスクへの対応やリスク予防に対してどのような相談支援ができるかが問われている。そのため、保険原理でケアマネジメントを実施していくことの矛盾が生じてきている。
いつも分かり易いご説明をありがとうございます。
本日のブログ内の、
【利用者が自己選択・決定していく仕組みを意図してきたが、第一には、ケアマネジャーが自己選択・決定を基礎にする支援ができてきたかである。ここには、ケアマネジャーの自己決定支援の力量不足もさることながら、利用者自身の自己選択・決定する意識が必ずしも成熟していないことも大きいと言える。】
上記の内容、ごもっともです。
自分自身もそうですが、見渡してみても、お手本にしたいケアマネのなんと少ないことか。
一人一人、人間として素晴らしい素質をお持ちです。ただ、生かされていない。生かせ方が分からない。。利用者さんとの関わり方や、支援者支援の仕方が分かっていない。。。
まだまだ勉強が足りません。技術が足りません。。
けれど、人間が好きで、お年寄りが好き。
自分たちが生活していて良かったと思える町づくりのために、今後はこちらにも時々寄らせていただきます。
本日はお疲れさまでした。