加藤博史さんの『福祉哲学―人権・生活世界・非暴力の統合思想』(晃洋書房)では、人間の幸福を考える一要素として「自立」についてふれている。著者は、現在の政策的意図で、「自己責任の強調」と重ねられ、「身体的自立」や「経済的自立」として、自立が使われていることを批判し、「精神的自立」や「関係的自立」の重要性を強調する。そして、自立を、「自分の力を周りの人に上手に使ってもらったり、周りの力を上手にもらったりすること」、「その際の力は、何かを行う能力(アビリティ)だけでなく、傷つきやすさ(ヴァルネラビリティ)や、生きていること(existence)そのものが放つパワーを含んでいる。」(45頁)と説明する。
自立についての考えは、私も同感である。このような考えを、私自身は「ストレングス・モデル」でもって研究しているが、このストレングスを可視的な利用者の能力や意欲を超えて、いかに捉えていくのか、さらにはそれをどのように教育していくので苦悩している。確かに、ヴァルネラビリティがある方ほど、ストレングスが捉えられやすい。しかしながら、昨日のブログで加藤さんが書いていたような宇宙観を持ち得ているかどうかが、捉えることができるかどうかの分岐点であることも事実である。
昨日は、ソーシャルワーカーの宇宙観を、利用者と関わる実践を介して作っていくことが重要であると述べたが、生命観や人間観がないために、ヴァルネラビリティや、生きている存在そのものがストレングスであること気づけないことも多い。利用者の自立支援のためには、気づきが大切であり、それには、実践の仲間や上司の支援(スーパービジョン)体制を作っていくことが重要である。
自立についての考えは、私も同感である。このような考えを、私自身は「ストレングス・モデル」でもって研究しているが、このストレングスを可視的な利用者の能力や意欲を超えて、いかに捉えていくのか、さらにはそれをどのように教育していくので苦悩している。確かに、ヴァルネラビリティがある方ほど、ストレングスが捉えられやすい。しかしながら、昨日のブログで加藤さんが書いていたような宇宙観を持ち得ているかどうかが、捉えることができるかどうかの分岐点であることも事実である。
昨日は、ソーシャルワーカーの宇宙観を、利用者と関わる実践を介して作っていくことが重要であると述べたが、生命観や人間観がないために、ヴァルネラビリティや、生きている存在そのものがストレングスであること気づけないことも多い。利用者の自立支援のためには、気づきが大切であり、それには、実践の仲間や上司の支援(スーパービジョン)体制を作っていくことが重要である。
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自律と自立の整理もあると思います。英語では、autonomyとindependentの整理もできると思います。
私は、自立を「自らの生き方を自らの責任で決めること」と考えています。
国の「自立支援」は、介護保険法だけでなく、障害者自立支援法、生活保護法、児童福祉法(?)に明記されています。その意味が、重要です。
私は、生活保護について、約30年前の論文で、既に「自己決定」と言っています。
それは、「公的扶助ケースワークにおける自立概念の検討」社会福祉論集 No.16・17合併号(大阪市立大学)(pp.234~250)1979年8月、「生活保護でいわれる自立について、これまでの論者の考え方をまとめ、ここでは事例研究をもとにして、自立とは「自分で人生の選択を決定していくこと」とした。
その意味では、いつまでたっても成長しないのか、信念が固いのか、どちらでしょうかね。
中年になってから、あるきっかけといくつかの出会いから「関係的自立」の道を歩み始め、今では他者に適切に依存したりされたりして、日々、幸せを噛み締めております。
自己決定についても、他者から切り離された中で「情報」だけ十分に得て自ら決定することが真の自己決定なのかと疑問にも感じておりました。自己決定を支えるべき他者との関係性が希薄になっている今日、ここにこそソーシャルワークが取り組むべきではないかと考えている次第です。
それが、社会的に自立ということになるのではないでしょうか。
私は、そうした結果としての、自己決定の自立を目標にしています。
本日届くと思います。
いろいろな視点から「社会福祉とは何か」、「社会福祉はどうあるべきか」を日々勉強していかなければいけないことを改めて痛感したしだいであります。
是非お読みください。私も勉強になりました。