洗濯機を回している間に本棚の整理をしました。
読み終わったものを出し、棚をサッとひと拭き(ちなみに、ひと拭きするために使ったものは布製マスクのハギレ。使い終わったらそのままゴミ箱へ)。
押し入れの中の小さな段ボール箱に入っている”蔵書”と入れ替えました。
蔵書、というと大げさですねww 要するに昔読んだ本&積読された本ということです。
わが家は徒歩圏内に図書館もBOOK OFFもないため、本は購入して読むことが多いです。
世間で節約と言えば、図書館で本を借りることがトップ3に入るのではと認識していますが、ないものは仕方がありません。交通費をかけていくのも大変ですし…。「お金さえ出せば読みたい本を自分のタイミングで読める☆」と割り切っています。返却期限に追われることもありません。それだから積読になってしまうということもありますが…。
蔵書の中には自分で買ったことすら忘れているものもあります。大型書店に行って「ブック・ハイ(←勝手に命名)」になってしまい、欲しい本の隣にある本にも惹かれ、さらに時間は有限であることを忘れて爆買いしてしまうんですね。その後忙しくなって読むひまが無くなってしまい、積読へというパターンです。でも、時間が経って改めてそれらの本と対峙しても、やっぱり読みたい欲求が出てきます。だから、「読まない本は売りましょう」とはならないんですよね。読み終わった本についても、好きなものはもうしばらく手元に置いておきたい派です。
人は忘れてしまう生き物ですから。
この年末年始のために読もうと用意した蔵書は4冊。3冊が海外文学で、もう1冊は五木寛之さんの『大河の一滴』です。平成11年3月に文庫化されたもの(最初に世に出たのは1998年4月)です。これだけ見ても22年前!と思いますが、何気に目次をたどってみると今にも通じそうなことが書いてあります(22年前にも読んだはずなのに、何を言っているのか私)。
世の中が急速に進んでいく今、どうしたらいいのかと途方に暮れそうになりますが、今の私には正解を求めるよりは、いろいろな考え方があると認識することが第一歩かと思っています。
また、至極当然のことですが、読書は文章をひたすら読むこと。
自分の考えをまず置いて、筆者の考えや物語に没頭しなければ進めません。日常の中ではこれがなかなかできません。仕事から距離を置ける年末年始こそ没頭したい。
人と会う機会の多い時期でもありますが、いつになく読書したい欲求が高まっています。
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