続・知青の丘

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「蜃気楼」(『海程』No.512より)と「しづ子忌」 

2015-05-28 10:21:31 | 俳句
 (『海程』No.512  2015・5月号より)

蜃気楼          加藤知子  
       
集団的するめ吊るしてお元日
反戦な子宮から地球初明り
すみれ咲くたびカラシニコフの発情
漱石にみせたし不眠の冬菫
春キャベツきれいに耳を削ぎ落す
病棟は無季なり春の裏側
三方の霧の襖に手をかけて
オンホロロ咲くやこの花初心にかえろ
迫りくる尿意のひとつ春はあけぼの
前山にこれだと思ふ春嵐

「月に行く漱石妻を忘れたり  漱石」 
ずうっと素通りしてきた漱石。だが、掲句に出合った2年程前から、ぐんと身近な存在となった。『草枕』の冒頭部分で漱石は言う。「どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれ、画が出来る」と。「余が欲する詩は」、「しばらくでも塵芥を離れた心持ちになれる詩である」とも。前書きによれば、掲句は、1897年、流産後養生する妻を鎌倉に遺しての帰熊の際の句。熊本への赴任、その直後の結婚、妻のヒステリー、流産云々等で、気遣い疲れ果て、夫婦関係の煩雑さからひととき解放されたかったのだろう。私なら、「夫捨てにいくなら春天の橋立」
漱石には、「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」という句もある。半藤一利による句評碑には、「世渡りの下手なことを自覚しながら、それをよしとして敢て節を曲げない愚直な生き方をいう」とある。亦楽しからずや。
この度は思いがけず巻頭を頂き恐縮です。また、このような機会を賜り深謝致します。 

4月号海程集巻頭作家招待席・特別作品として
掲載して頂きました。
大変光栄なことでした!

5月の私は、
川村蘭太氏の大作『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』(2011、新潮社)を読んで、
作品「しづ子忌」とした20句を一人遊びのように書いていた。
同氏は25年もかけて追いかけて、しづ子の実像にせまった。


夏みかん酢つぱしいまさら純潔など     しづ子
コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ   しづ子
娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ      しづ子

俳句も男社会なのか、
鈴木しづ子は若くて美人だったからか、
おもしろおかしく作られた部分があったような印象を受けた。
師・松村巨湫に句の添削と句集発刊のプロデュースをされて、
処女句集『春雷』(1946)、第2句集『指環』(1952)を上梓。
その直後姿を消した・・・・
未発表句約7300句を師に託して・・・・
謎の失踪!

私は、しづ子氏への思いを込めて俳句を書いた。
しづ子忌を立夏と決めて立ち泳ぎ
青あらし娼婦であろうがなかろうが
しづ子句とわが水位測りつつさみだれ







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