続・知青の丘

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

柳川つづき(北原白秋歌碑)

2015-05-16 22:41:24 | 俳句以外
川下りしていると、
北原白秋歌碑をいくつかみます。
北原白秋の生家がありますから歌碑が多い。
(白秋の母親は南関の出身。だからか、南関町・大津山神社でも歌碑をみました。)



色にして老木の柳うちしだる我が柳河の水の豊けさ



ついかがむ乙の女童影揺れてまだ寝起きらし朝の汲水場に

(雨合羽をかぶった人の頭が写っています!)



海鼠壁の前の看板みたいなのには
「夕干潟」と書いた2首

西日して潮満つるさまの夕干潟営み長く蟹ぞつぶやく
夕凪の干潟まぶしみ生貝や弥勒むく子の額髪にして
                   ー「水の構図」より 



水の街棹さし来れば夕雲や入鳥(にほ・漢字が出ない)の浮巣のささ啼きの声


六騎神社に近いところには、

水郷柳河こそは、
我が生れの里である。
この水の柳河こそは、
我が詩歌の母體である。
この水の構図、この 
地相にして、はじめて
我が體は生じ、
我が風は成った。
             「水の構図」より白秋


「帰去来  白秋」


山門は我が産土、
雲騰る南風のまほら、
飛ばまし今一度、

筑紫よかく呼ばへば、
恋ほしよ潮の落差、
火照り沁む夕日の潟

盲ふるに、早やもこの眼、
見ざらむ、また葦かび、
籠飼や水かげろふ。

帰らなむ、いざ、鵲、
かの空や櫨のたむろ、
待つらむぞ今一度。

故郷やそのかの子ら、
皆老いて遠きに、
何ぞ寄る童ごころ。


そういえば。

*白秋といえば、姦通罪で捕えられていますね。

*柳川といえば、
お坊ちゃんだった松岡修造がテニスをやりたくて転校した柳川高校があります。

*17C前半の柳川は、紆余曲折あって結局、初代藩主立花宗茂(高橋紹運の長男)の手に~。
それ以後について興味のある方は、調べてください。

*歌碑の漢字はほとんど現代使いに変換しました。
(255)





コメント (2)