私の中ではなにも変わるものはない。
むしろ、私には、
我が家の大震災、昨年の1・19以後というべき。
それは、突然に不条理に起こった。
それは、誰にも言えず、言ってはならず
すがる筋合いのものでもなく
ゆえに、誰かに寄り添ってもらえるはずもなく・・・・
権力の椅子はいびつな大根人参 知青
出口もなく、解決の道筋もみえず、
不安と緊張と・・・孤軍奮闘・・・・
こんな6ヶ月間を過ごした。
冬かきつ薄濃(はくだみ)にして愛すかな
などと訳のわからない気分だった。
だいぶ事は終盤に近付いてはいるが
まだ終わってはいない。
そんな渦中にあるときに3・11が起こった。
時事程度のニュースはみても、
それ以上は目をふさぎ耳をふさいだ。
自分が保てなくなるから。
特に被災者の方々の声は聞きたくなかった。
重すぎた。
したがって、
東北も震災も津波も瓦礫も放射能も詠めない。
ひとつには、表現者としての力がないから。
もうひとつは、直接の被災者でないから、
なにもかも嘘っぽくしか詠めないのだ。
いまだに。
想像力を働かせる力と余裕がないのかもしれない。
息子が4月にまだ水も電気もない被災地に
医療ボランティアを志願して行った時も
やっと研修医1年経過したばかりなのに~
早く無事に戻って~と思ったが、
いつかラジオがなにかで兜太師が、
「志のある死は自分は何とも思わない」と言われたのを聞いたから、
私もそのように考えたいと思った次第。
私と東北とはこのような具合で、
息子を通して一時期切実なだけであった。
本題にもどると、
『3・11以後の俳句』などと、
社会現象的に、
特別になにかがあるのだろうかと疑う。
それとも、
家もあり、家族も失ってはいない者が、
このように言うのは不謹慎なのだろうか。
やっと、深刻な時ほど軽やかにと思える。
たわごとである。
むしろ、私には、
我が家の大震災、昨年の1・19以後というべき。
それは、突然に不条理に起こった。
それは、誰にも言えず、言ってはならず
すがる筋合いのものでもなく
ゆえに、誰かに寄り添ってもらえるはずもなく・・・・
権力の椅子はいびつな大根人参 知青
出口もなく、解決の道筋もみえず、
不安と緊張と・・・孤軍奮闘・・・・
こんな6ヶ月間を過ごした。
冬かきつ薄濃(はくだみ)にして愛すかな
などと訳のわからない気分だった。
だいぶ事は終盤に近付いてはいるが
まだ終わってはいない。
そんな渦中にあるときに3・11が起こった。
時事程度のニュースはみても、
それ以上は目をふさぎ耳をふさいだ。
自分が保てなくなるから。
特に被災者の方々の声は聞きたくなかった。
重すぎた。
したがって、
東北も震災も津波も瓦礫も放射能も詠めない。
ひとつには、表現者としての力がないから。
もうひとつは、直接の被災者でないから、
なにもかも嘘っぽくしか詠めないのだ。
いまだに。
想像力を働かせる力と余裕がないのかもしれない。
息子が4月にまだ水も電気もない被災地に
医療ボランティアを志願して行った時も
やっと研修医1年経過したばかりなのに~
早く無事に戻って~と思ったが、
いつかラジオがなにかで兜太師が、
「志のある死は自分は何とも思わない」と言われたのを聞いたから、
私もそのように考えたいと思った次第。
私と東北とはこのような具合で、
息子を通して一時期切実なだけであった。
本題にもどると、
『3・11以後の俳句』などと、
社会現象的に、
特別になにかがあるのだろうかと疑う。
それとも、
家もあり、家族も失ってはいない者が、
このように言うのは不謹慎なのだろうか。
やっと、深刻な時ほど軽やかにと思える。
たわごとである。