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人間は機械ではないと考える労働者たち 反トヨタ方式

2009年06月08日 17時03分27秒 | 生存権・労働問題
とにかく工場内の無駄を極限にまで無くすシステム作りが日本式(ときにはトヨタ方式)と呼ばれる。
製造ラインに流す部品は人間の歩数をなくすために、人間は右を向き左を向き右を向き左を向くという振子人形で十分である。

一日中この動作をできるのは電気系統に制御された機械だけである。
しかし、今の日本の工場は全国規模的にこの機械化を人間に押し付けようとする。

『カイゼン』この合言葉とともに各工場の無駄を省くために押し進められてきた結果、工場に残ったのは機械と変わらない経営者と労働者だけになってしまった。

ところが不況の煽りを受けると、生産効率が高いゆえに、ゆっくりとした生産に切り替えることができない。結果として工場の全面稼働停止である。

極端に物事を推し進めると極端の反動がかえってくる。
これはバブル経済で日本が経験し、痛い目に逢って、その後遺症が20年後の今日も続いていることを見ればわかるのである。

短い時間に上昇すると、短い時間に降下することも考えなければならない。
落下に対しては重力の方が見方をするため、加速度が増す。
そして途中の制御は難しくなる。
さらに地面へ衝突するときの衝撃は破壊的なものとなり、地面への損傷や周りの建造物にまで、被害を及ぼす。

つまり、機械にできることをただちに人間に置き換えて考えることは非常にナンセンスであると考える必要がでてくる。

なぜ、そうなるのかというと、企業にも今の社会にも人間について考えることがおろそかになっているためである。

人間は人間である以上先ず人間について考える学問から始めなければならない。
ただし、どのような学問の中でもこの人間学だけはとりとめがなく、困難な学問であるといえる。

気象を調べるには気象学がある。
熱について調べるには熱力学がある。
それぞれ専門の学問が必ず設けられている。
現代はそういう学問の分類はかつてないほど盛んである。

しかし、そのような物質の研究は一見人間を幸福にしているようでいながら、結局のところは人間を機械化し、不幸にしているのである。

機械化が進んで起こっている現象の一つに自殺の顕著な伸びがあげられる。
先進国ではどこの国でもこの100年を比べると100倍近く倍増しているのである。

豊かさと幸福をもたらすはずのテクノロジーは呪いの学問であった。
明治維新期の戊辰戦争の死者が1000人単位であったのが、太平洋戦争で300万人前後が死亡している。
旧ソ連では2000万人以上である。
近代兵器はあらゆる科学の総合的な結果である。

世界の全人口の数千倍を破壊する能力を人類は所有している。
実に科学の成果である。
われわれは本当ンい豊かになったかどうか考えてみてはどうであろうか?

さらに軍事化のために、それが政治の一大事のように考える世襲議員が増えている。
世襲議員は子供のころから親たちの戦争についての意見を聞きながら育っている。
つまり、日本は侵略行為を行ったのではなく、あれは防衛のための戦争であったと!

軍備を強めれば強めるほど、中国も韓国も台湾も他のアジア諸国も日本に対して警戒を怠らないであろう。
また、アメリカでさえ警戒をもって対応するであろう。

戦争になるとほとんどの工場はフル加増でトヨタ方式はさらなる『カイゼン』のため、多くの労働者はおれたちは機械ではないと嘆くであろうが、血を流して証するしかないであろう。

だれも労働者が人間であってほしいとは考えない。出来るだけ機械のように働いてもらいたいのである。


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