四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

福島県も茨城県も栃木県も群馬県も埼玉県も千葉県も東京都も放射能汚染地域である。

2011年04月20日 05時08分19秒 | 健康と医療
福島県から他県へ行く人間をチェックするのは当たり前である。

福島県人も自分自身が放射性物質を受けていないかチェックしてもらいたいであろう。
特に子供や女性は、検査された方が安心である。

それを国が禁止するのはおかしいではないか?

放射性物質検査禁止 人権侵害というよりは安全性の問題であろう。

国が安全安心などと言っていることを間に受けない、高蹈知識人たちはすでに安全地帯に非難している。





ANNNEWS

つくば市は、福島県から避難してきた人が転入手続きを行う場合、スクリーニング検査を受けた証明書を提示するか、提示できない場合は検査を受けて入手するよう先月17日に窓口の担当者に通知を出しました。今月11日、仙台市から転入手続きをしに来た男性(33)に担当者が誤って検査を受けるよう求め、この男性が抗議して発覚しました。




今の福島原発と見比べてもらえれば事の重要性がわかる。
福島原発事故かそれともチェルノブイリ原発事故か?
クリックして下さい。


遺体 海に流される 川に流される

2011年04月20日 01時53分01秒 | 日毎起こること
今回の津波で発見されない遺体は、山ほどある。

瓦礫の下敷きや、海に流された遺体。
すでに一ヶ月を経過している。

遺体のほとんどは身元が確認できない状態である。

遺体はやがて漁師たちが投げ込む網に絡みついて陸揚げされる事であろう。


インドのガンジス川では遺体がかなり流れている。
岸で死んだ人の遺体を焼くが、薪代も馬鹿にならなく、多くの貧乏人は生焼きの状態でガンジス川に流される。
子供は焼かないでそのまま流す。

船でのガンジス川観光がある。
小さな船で観光するから、川に流された遺体が船の横を通る場合が頻繁に起きる。
何と言っても人口の多いインドである。

様々な感染症で死ぬ人たちも少なくない。
すべてお構い無く、水に流すのである。

遺体の髑髏がわたしを見つめている。肩の肉は落ちていない。
死とはこういうものである。

ベナレスは仏教の聖地でもある。仏教徒でお墓を持つのはガンジーだけである。
仏教徒は遺体を大事にしない。
この辺が日本と異なる。

日本人は何故か異常なまでに遺体に拘る。
生きている人間よりも遺体が大事である。

今回の自然現象で亡くなった人々のために、相変わらず遺体捜しが続いている。
できるだけ遺体を傷つけないように、瓦礫の山も丁寧に撤去しなければならない。

その分復興が遅れがちになる。
遺体が大事なのか、復興が大事なのか、どちらも大事なら何時までも避難生活を続きなければならないであろう。

エベレストの山頂付近には今でも多くの遺体が収容されないまま、冷凍保存されている。
遺族はその遺体を収容しないのは何故か?

本来、自分たちの大事な遺族の遺体なら、自分たちで捜し自分たちで収容するのが筋である。
しかし、そういう作業は公的な役割だと決め付けられている。

生きている時も家族を扶養するわけではないが、死んでからも、自分たちで遺体を探す訳ではない。
それでも遺体が重要であるのは何故なのか?

時には生命保険や遺産相続の問題が絡む場合もある。

一体、家族とは何であるのか?
人間の遺体とか骨とかは何であるのか?

孤独社会、無縁社会と言われながら、やはり遺体は大事にする社会とは?

インドの仏教徒たちは奇異に思うであろう。
仏教はインドが発祥の地である。

勝手にインドの仏教思想を変造して、何か別の宗教を作ったのならまだ分かるが、多くは仏式の葬式を営む。
しかも、元の仏教ではない。

不思議な国である。
死体を放置すると感染症が広まる。

早く何とかした方が良いのではないか?