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四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

新しいもの好きと 古いもの好き

2010年05月30日 08時05分19秒 | 行住坐臥
新しいものを買うことが全くないわけではないが、それは今までなかったもので新しいものと言うのではない。
例えば、牛肉や牛乳など食品に関しては新しいものを買う。

最近、牛乳パックなどは奥の方から買われていくので、あとに残るのは前のほうである。
牛乳だけでなく、ドリンク類やおかず類は後ろから消えていく。

スーパーの肉などは、手にとっていちいち重さや中身をしっかりと見回している主婦がいるが、そこまでしなくとも表面から見ても変わるはずがない。

確かに新しいものの方が安全であるとは思えるが、先程までは定価でその後半額になっているものが、品質的にそれほど落ちるはずはない。

機械モノでもそうであるが、半年前のパソコンが新製品にそれほど劣るとも思えない。
今までになかった機種でさえ、半年から1年立てば必ず次世代のものが登場する。
その方が改良されている場合が確率としては高いのである。

今でさえ、携帯もコンピュータも持たない人がいるが別段困ってはいない。
ただ、公衆電話が消えて行くので多少不便であるようだ。

電車でも新幹線が主体になると急行や特急や夜行列車が消えていく、人によっては寝台列車の方が楽しめる人もいる。
スピードが上がってしまうと、東京~大阪は日帰りが当たり前になったり、東京~福岡まで日帰りの場合がある。

昔は出張の楽しみがあり、2泊したり、宿泊手当があったりしたが、スピードが早くなるにつけ、手取りが下がり仕事量が増えたりする。

機械が高度になると、確かに便利になり、機能が高まることは確かである。
ただし、その反面煩雑になり、機械に頼ることで機械から離れられなくなる。
機械が必要でないことまでも機械に頼ることになる。

それで人間の方も同じように能力が高まればよいが、機械がないと何もできない人間が出来上がってしまうのもたしかである。

たとえば、医者は聴診器一つで患者を診ることは時代遅れだと感じる。
それは病気を同定するのには、正確でないと考える。
血液検査で大抵の病気はわかり、わからなければMRIやCTなどを使えばさらに詳しくわかるし、遺伝子検査で未来の病気までわかると思い込まれている。

実際は、新しい高度な機械を使いながら病気を誤るケースは少なくない。
高度な機器を使いながら、医療ミスを起こす場合もある。
わざわざミスを犯して患者を病院に釘付けすることもある。
高価な機械を買ったおかげで借金ができ、その支払のために、患者を利用するケースが増えているのである。

飛行機が空を飛べば落ちることもあり得る。何千トンもある鉄の塊が猛スピードで落ちていくならそれなりの物理的な破壊力も相当なものである。

自動車でさえ時速200kmで衝突すれば大クラッシュである。スピードが0の方向に行けば破壊力も0に近づく。
それは経済でも同じである。企業が巨大化すればそれだけ社会的影響が大きく、稼ぎ出した金の相対よりも多くの損害を社会に与える。リーマンもそうであるが、そごうもダイエーもそうであった。それで間接的に多くの人が自殺したことであろう。

科学技術が発展したことで世界的な公害が置き、気候が変動し、CO2が増えすぎ、世界中が洪水や干ばつにあえいでいるのである。

2月に20度以上になったり、5月に雪が降ったり真夏日になったりと、一体季節で言えば、春夏秋冬では言い表せないから、冬・夏・春・冬・秋・夏・冬ととにかく天変地異が至る所であ起こるような状況になっている。

i-podでもi-padでも新しいものが市場に出てきて果たして世の中が良い方向にいくであろうか?

航空産業が世界的に破綻するような状況であり、ネットの世界も編成や倒産が相次いで、インターネットの検索も目的にたどり着くためにはかなりの時間を要し、クズ情報は溢れかえり、ソフトが新しくなる分、古いソフトはすぐに使えなくなり、ハードも買い換える羽目に陥り財政はどんどんそちらの方に吸収されて行く。

ソフトの数がどんなに増えても使えるものは半ダースほどである。

新しい道具を使うためにまたしても時間をさかねばならない。

古い道具を使いづつける職人は道具に習熟し名人の域に入るが、新しもの好きは何時まで経っても素人の域をでないのである。

例えばパソコンに映し出せれる文字は、資格からすると焦点が合わずに見ているから必ず視力が衰えてくる。
紙の上に印字されたものは紙の上にあるが、液晶であろうとディスプレイであろうと、ガラスやプラスチックの向こう側に文字が映し出されているのである。それも文字は点滅している状態であり、この点滅は無意識ではとらえているからかなりの疲労感をもたらすのである。

ついでに電磁波の障害も考えなければならない。

たぶん、電気で動く機械の手を借りることのなかったルネッサンスの画家や彫刻家を現代の人間が超え出ることは難しいであろう。

つまり後世に残せるほどのものは一つとしてないということにもなりかねない。
自分が大事だと思いながら買ったものの一つが10年先にどれほど残っていることであろうか?

あまり急ぐことにそれほど価値はないと言っても過言ではない。
宮本武蔵も五輪書の中で、「急がば転ける」と言っている。

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どこへ行っても悩み事は絶えないので、一箇所で頑張る人が賢明である。

2010年05月30日 02時50分48秒 | 行住坐臥
夢を求めてふらふらすると、何時までも新しい夢の幻影が見えてきて、結局夢をつかみうつつはつかみ損なう。
つかみたいのは夢ではなく、うつつであったはずである。


人間辛抱が大事だと言うガ、バカにされならが一つ事に真面目に勤めなければなにも見えてこない。
隣の食事が豪勢に見えても、一緒に食事をとっている間には、そうでないことがわかってくる。

それと同じでどんな金持ちも幸福でいるわけではない。

結局、何が大事なのか?

老子様は、「バカにされないようでは道でない」と、言った。
ソクラテスもバカにされ、セザンヌもバカにされ、やはりイエスもバカにされた。

日本の首相もバカにされているから、本当は偉いのかもしれない。

わたしのように本当のバカもしっかりとバカにされるところが、辛いところである。

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碌で無しが住むこの世界 結果は?

2010年05月07日 15時19分15秒 | 行住坐臥
バカが3人寄ったらバカの知恵。

バカが100人集まるとさらに恐ろしい。

地上に少なくともバカは60億はいる。

恐ろしい世界に住んでいるものである。

毎日恐ろしさを感じるのは正常な感覚なのであろう。
死ぬのも恐ろしいとはどういうことだろうか?
こんな恐ろしい世界より恐ろしい世界が他にあるだろうか?


手づくりジュース レシピは7つ以下!

2010年05月05日 00時28分58秒 | 行住坐臥
昔々、リンゴジュースをよく作った。
大根おろしでりんごを擦りボールでそれを受け止める。
そして溜まったものをサラシに受け、サラシを力いっぱいに絞るのである。
これでかなり美味しいりんごジュースが出来た。

そのうちジューサーを一台買った。

それで来る日も来る日もリンゴを擦っていた。
リンゴ以外擦ったことがない。

つまり当時は野菜をジュースにするという発想がなかった。
リンゴが果物の中では一番安かった。
バケツで買っても数百円である。

それに比べジューサーは大卒初任給の半分以下である。
どこにそんな金があったのか?

リンゴ以外をジュースにして販売するという発送はまづ浮かばないであろう。
何故ならいまと違って野菜は安かった。
魚も安かったが、牛肉はことの他高かったのである。

さてジューサーは買ったとは言え、材料は高いのである。
この材料を手に入れるのは困難を極める。
キャベツ一玉400円、レタス一玉250円。
よくキャベツの皮を剥がしていたが今では捨てていたものも持ち帰っている。
しばらくこの状態が続くであろう。

しかしわたしには案がある。
野草ジュースである。

ほとんどの雑草は山菜である。
特に春の時期には山菜が多い。
この季を逃すワケには行かない。


貧困も天からの恵みである 貧しきものは幸いなり 弱き者も様々である

2010年05月04日 09時05分06秒 | 行住坐臥
金を持つと堕落しやすい。

貧者も美しく生きることはできる。
金持ちは美しく飾ることはできても、美しく生きることは困難である。

とかく金があると金で物事を解決しようとする。
息子や娘にはうまいものを食わせ、美しいベベを与える。

勉強には家庭教師、お金に物言わせ一流大学まで入れてしまう。
その後は一流企業や高級官僚など、だいたい人生のストーリーは決まってしまう。
これは現世からみると誠に恵まれすっきりしているが、天国の神様たちはさぞかし退屈されていることであろう。
来世は地獄に堕としもう一度やり直しである。

しかし、一度地獄に堕ちるともはや地獄以外行き場がない。
世の中で一番恐ろしいことは死がないということである。
地獄には時間がある。

天国は永遠の世界であるが、時間がない。
天国へ行きたければ、ポイントを獲得しなければならない。

神様は永遠不変に近いものを地上に用意された。
それは時間で考えることができる。
古くからあるものがそれである。
何かと言うと芸術作品である。

この世の三大宗教よりもはるかに古くからあるもの、それが芸術である。
神はこの中に神のエキスをお与えになった。

天国のポイントが欲しければ芸術作品(美術・音楽・文学)を堪能することである。
古典書籍を1冊読むことに1点ポイントされる。
古ければ古いほどポイント数は高い。

新刊書はやめた方がいい。減点される可能性があるからだ。
大学へ行けば本当の勉強をやらなくなる。読書もしない。そうするとポイント数はどんどん減っていく。
労働しながら残された時間を芸術に費やす人間はポイントがたくさんもらえる。
美術展・音楽会・読書。これらを通じて人生を物にしていく人間は天国でも歓迎される。

何事につけても時間を超えていく要素の高いものは芸術である。
そして芸術家たちは時代を超えて人間に訴えてくる。

貧乏人は真摯にこれらのものを受け止めるように自らを従えなければならない。
そうすれば天国へのポイントは高くなる。犯罪などを犯さなければさらにポイントは高くなる。

金持ちは金を維持したり増やしたりする段階で必ず犯罪を犯す。
彼らはどのようにしてもポイントを挙げることはできない。

「貧しきものは幸いである。」
「金持ちの天国に入るは、駱駝が針の穴をくぐるよりも難しい」

そこで金持ちは考えた、巨大な針を作り、針を砂漠に埋め、針穴だけが地上に出るようにして、駱駝を難なく通すことができた。しかし、神はお怒りになり、言葉の意味の解釈だけに走った金持ちを地獄に送った。そしてこのようなことをしてはならないと、『憲法9条』に定められた。しかし、解釈に走る人間は減ることはなかった。

貧しいなら貧しいなりの考え方があり、工夫がある。
金持ちよりも貧しいものの方が多いのであるから、そこから犯罪者も生まれる確率は高い。
最終的な裁きは神が行う。裁判官も検察も最終的には神によってポイント数を数えられるのである。
間違わないように慎重に判決を行わなければならない。


いい番組は深夜か早朝にある あまり人の行かない美しい土地のようである

2010年05月04日 06時22分41秒 | 行住坐臥
休日なのか早朝4時台5時台にしんみりとした番組を放送していた。
愛知県岡崎市は岡崎市は岡崎インターのあるところでそれほど田舎だとは思えないが、やはり子供がいなくなっているのである。

小学校が廃校になるが、学校だけは廃校になると再び再帰することはない。ちょっとした山村の学校はどこでも不便をしいられる。食料品も少なければ医療機関も銀行もない。クルマが無ければ生活ができない。本当なら山村の人々へ葉クルマの支給とガソリンの無料化を行わなければならないはずである。山村が交配するとやがては都市も衰退する。いまでは山林の破壊が海洋へのダメージが伴うということがわかっている。すべては満遍なるつながっている。ところが現代社会は便利さが優先され、周辺地域の生活が脅かされるのである。

人気のあるホームページやブログは常に上位に来るがそうでないものはどんどん沈下する。
値打ちで決まるのではない、情報量の連鎖である。ちょうど有名な観光地はいくらでも宣伝されるがそうでないところは宣伝さえされない。本当に良いかどうかはわからないままである。

文学者でも売れないと有名であった人までが沈没してゆく。
もはや事の善し悪しで浮上してくる世界では無くなっている。

学校であろうと町であろうとどんどん沈下していくのである。

シャッター商店街などというが大手のスーパーマーケットなどにやられゆく人々が人間的である。
人間的であるというのは一様ではないことである。

間違いもあれば感情的になることもある。
生き物だから予測がつきにくい。
特にマニュアルがあるわけではなく、マニュフェストに従うわけではない。

スーパーマーケットやハイパーマーケットなどには人間のつながりは極めて少ない。
レジの人が話しかけてくることはない。アメリカではレジの人間が話しかけてくることがある。
それだけ他国のレジの人はまだ人間である。日本では人間を出してはいけないとされている。

墨田区に立花通りがある。ここの商店街は今も賑わっている。
この近くに4年以上住んでいたことがあり、よく通った商店街である。
あとは神戸の板宿の商店街もよく行った。海に近いだけあって新鮮な魚屋、肉屋では神戸牛が安かった。神戸牛は三田で生産された牛のことである。商店街には主がいるから、目つきが強かったりするものであるが、生き物の証拠である。

連休で多くの人が移動するが、せっかくの長休みの場合はまとめて読書するのが習いであった。
つまり平日に休みをとって旅行に行けばゆっくりと出来るのである。
旅館であろうがホテルであろうが、裏事情を見ると忙しい場合は手を抜かざるを得ない。
一気に料理でも大量に作るからフライパンで焼いている暇など無いのである。

日本人の悪いところは有給をとらないと言うことである。先進国では有給などはすべて使い尽くすのが普通である。先進国とは知的レベルが高いのである。知的な人間は暇を好むものである。それだからこそ学校などというスコラな世界が成立したのである。

商店街のお惣菜屋さんのお惣菜はスーパーマーケットやコンビニで売られているものと比べるとガサツである。
いまは色合いや配置などを研究し尽くすため、とてもではないが、個人商店街のおばさんの仕立てでは叶わない。ただし食べてみると個人が作ったものには添加物などは入れない。中には染料で色付することもありえるが……。

北九州市の中央商店街には昆布売りの店がある。一日に客がせいぜい二人ほど、中年超えした綺麗な女性が切り盛りしている。それで商売が成り立つわけではない。一見奇妙な白髪の老人がその店から出て行く。93歳の中年越えした娘の父親である。どことなく風格のある人物でちょっと見にも目立つ。公園に坐り絵を書いている。なるほど画家なのである。若いときにこの昆布屋を営んでいる女性と結婚し、奥さんにずうっと養われていたと言う。そうして無一文の絵描きを生涯養い続けて、いつか画家の方が作品を認められ、廃れていく昆布屋を支えるようになったという。既に奥さんは無くなっている。ここにも菩薩がいらっしゃったことになる。



にっぽん紀行「巣立ち支えるメロディー~愛知・岡崎市 5人だけの小学校~」2010/05/04 04:30~04:55 の放送内容 NHK総合

全国の音楽コンクールで入賞してきた愛知県岡崎市の山あいの小学校。しかし今年度での閉校が決定。5人の児童による最終演奏会までの日々を追った。案内人は女優の木村多江
愛知県岡崎市の千万町(ぜまんじょう)小学校では、1964年から「全校音楽活動」を続けてきた。「へき地の子どもたちに自信をつけさせたい」という願いで始められたものだ。レベルは高く、全国コンクールで入賞するなどの実績をあげてきた。しかし、児童数の減少で閉校が決定。5人の児童による最後の演奏会が開かれる。山あいの小さな学校で、一歩一歩成長する子どもたちの日々を見つめる。【案内人】木村多江
出演
【案内人】木村多江

2010/05/04 05:15~05:40 の放送内容 NHK総合


にっぽん紀行「なぜか笑顔のシャッター通り~北九州・門司中央市場~」
福岡県北九州市にある一風変わった商店街。シャッターだらけで一見、寂れて見えるのに、商店主や客はなぜかみんな笑顔。その秘密は…。案内人はリリー・フランキーさん。
疲弊する地方の象徴「シャッター商店街」。北九州市には、訪れた人が元気をもらえる一風変わった商店街がある。店主たちは、独自の“商い哲学”を持って、たくましく営業を続けている。そんな商店街をかけがえのないものと感じ、杖(つえ)をつきながら毎日通ってくるお年寄りたちも多い。一見、寂れて見える地方のシャッター商店街で、なぜ人々は笑顔でいられるのか? 案内人はイラストレーターのリリー・フランキーさん。
出演
【案内人】リリー・フランキー




今日も一日は暑かった 昨日の夜はストーブを焚いたのだが? ジュースを飲みたい!

2010年05月03日 20時35分50秒 | 行住坐臥
いつものことであるが、捜し物をして数時間が潰れる。
やることがいっぱいある。

宝石の研磨 回転砥石にルーターや超金曜のガスバーナー

粘土の焼成 轆轤に電気釜 電気釜は七宝や彫金、ガラスなどにも使える。割れたガラスなどはペンダントにできる。

お裁縫 服の仕立てにサイズ合わせ 

お料理 世界中をめぐったのでレパートリーが増えた スペイン料理もイタリア料理もフランス料理もドイツ料理も中    華料理も日本では不味い

ビデオ整理 DVDは保管に時間がかかる 肌が露出すると傷がつきやすい。

大工仕事 電動ノコギリ カンナ 

散らかった本の整理 本棚がないとどんどん溢れてくる

今日の午後からは寝不足もあり急に本屋・書類ケースの上で寝ることになった。
首も腰も肩も痛い。

なんでこんなに荷物があるのか?
それでもまだ買いたいという欲求がある。

この間死んだ井上ひさしは10万冊所有していたという。
大方は図書館に寄贈したとか聞いているが、並の知的好奇心で4万冊は必要だろう。
うちは2万冊あるが、ひとりで住んで6部屋のほとんどが本と書類で埋まっている。

それに恐ろしい趣味の世界でありとあらゆるものがあった。
顕微鏡も3台、天体望遠鏡も3台、パソコンが常時13台(現代は5台に減らした)、スキャナーが3台、プリンターが6台、めがねが10個、それでも外出用のメガネがいつもなくなる。自然観測は至る所でできる歩きながら路上観測で植物・昆虫・鳥類、川が近いので水性昆虫や淡水魚の観察もできる。自動車を手放したので山や海へは気楽に行けなくなった。電車で行く方法があるのでそちらに切り替える。

フライパンが6、鍋が8、ミシンが2台。服には金を掛けたが、最近は着たきりスズメで同じ服ばかり着ているので高い服が知らぬ間に虫食いに成っていたりする。シャツも数万円のものに穴が空いていたり、カシミヤのコートはやられていたり、革のコートやジャンパーにカビが生えていたりと、いまはおしゃれの次代では無くなっているので気にはならない。英国式のトラディッショナルなものが栄えた頃は、小物一つでも値段が高かった。ブランド物の流行とは観点が異なる。

料理をすると少量のものを作り、いろいろな料理をそのままテーブルに乗せるには同時に作る必要がある。そうなると鍋でもフライパンでも多く必要となる。作ってまた作るとなると時間がかかる上に、食事は終わってしまう。

コンロも必要になるが、ガスコンロの他にキャンプで使うコンロが3つほどある。それと鍋などをする携帯コンロもある。フル活動である。お湯を沸かす、味噌汁と煮る。餃子を焼く、マーボー豆腐を炒める。これらは一度期にやる。た大抵のレストランではなんでも一時にやる。そのため鍋もコンロもたくさん必要となる。


モノを買わないようにすることは至難の業である。
買ってはまた買いたくなる。それでもモノを買わないようにしているが、園芸用の小物などもときどき買い足している。かくて物は増える。

そうこうする間に時間が経った、野菜や果物のジュースを飲むためにジューサーが必要である。
ミキサーでやっているが、バナナと野菜と牛乳でつくるが残りが変色する。ジューサーなら知るだけで残りかすはハンバーガにすれば良いらしい。生ごみとして肥料にもなる。最近腹が減らなくなったので、ジュースだけで補給しようかと思っている。そうすれば食事を作る時間が節約される。

買わないようにしているのだが、買ってしまう。

ジュースを作るためジューサーを調べてきたが材料を入れる口が小さいとストレスが溜まる。
細く切るという作業が必要となる。

アメリカ製の通販のものが売っていたが値段が2万円ほどする。
予算は1万円以下である。

アマゾンで調べると、入口が7cmのものが6000円程で売っている。
しかもかなりの値引きである。

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よく売れているのはこちら!



電気髭剃りと同じで刃が切れなくなると取り替える必要がある。
こちらはオプションも揃っている。
ごみ処理も簡単である。


値段で考えるならこちらで十分らいい。
音はうるさいうとのこと。
アマゾンの値段はドンキーよりも安い。
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NNNドキュメント’10「ガンコ親父と7人の子ども達 酪農大家族16年の記録」 可哀想

2010年05月03日 02時48分49秒 | 行住坐臥
これが(番組)可哀想なのではない。
牛が子宮を出して出産し、三日後に死んでしまった。
哀れであるが、これが自然なのであろう。

立派は酪農家が自分の信念で仕事を守り続けることは、大変困難な仕事である。

イギリスのように効率を重視するあまり草食動物の牛に共食いさせ、狂牛病を発生させてしまった。
そもそも咀嚼のために胃袋が4つもある牛に、ミンチにした牛のくず肉の固形肥料を牛に与えるという発想そのものにイギリス病がある。パンクを生み出したのもイギリスであるが、あのパンクの発生でこれでイギリスも終りだと言った知人がいたが、まさにそうなってしまった。

イギリスだけがそうでは無いことも事実である。
日本はさらに深刻である。

異常から飛躍的な異常の世界に入ってしまった。

これほどしっかりしたまともな家族の姿を16年にわたって記録したと言うのは大変貴重である。
娘の結婚式の言葉も立派であった。貧しさと言うのは大変美しい世界を描くものである。
それは冬の雪景色のように凛としている。
人間の美しさはどこで発揮されるかは分からない。
表面的なことの方が多くなり、だんだん美は気づきえないところで花咲くものである。
まさに神のみぞ知る。

人は豊かさを求めて貧しくなった。物は増えたが、心が減っていったのである。
この酪農家の家族には暖かなものがたくさん込められている。

嫌らしい東大受験の東進がCMで入ってきたので、その比較がよくできた。
こういうアホどもが受験をして、心を目減りさせていく、めでたい連中である。

yahoo番組

NNNドキュメント’10「ガンコ親父と7人の子ども達 酪農大家族16年の記録」
究極の「自然な酪農」を追及するガンコ親父と7人の子どもたち・・・岩手の酪農家族16年の記録
真冬には最低気温が-15度を下回る厳しくも豊かな岩手県田野畑村。ここで5男2女と父母9人家族が泣き笑う。吉塚公雄さん(58)は夏も冬も牛を放し飼いにする究極の「山地酪農」を夢見て千葉から移り住んだ。夜逃げ寸前から脱却し、ようやく軌道に。しかし成長した子どもは酪農のやり方を巡って父に歯向かう…。時に雷を落とすガンコ親父。そして愛娘との別れ。家族の絆と対立、そして成長を追ったあたたかな16年間の記録。
出演
【ナレーター】中里雅子




モノを買わない若年性中年予備軍 仏教ではモノを買わないことを勧める 

2010年05月02日 22時37分59秒 | 行住坐臥
モノを買わない若者から中高年に到るまで、モノを買わない人々とモノを買えない人々を混同しているようである。

そもそもモノを買わないことは悪いことではない。
買って欲しいのは芸術作品や良書であり、立派な建築物である。

立派な建築物の多くは神に献納するためのモノでない限り、優秀なものをはできないようだ。
それも真剣に建てられたモノで生贄を必要とする。

それほど真剣でないと揺ぎ無いものは出来ない。
失敗すれば処刑である。

独裁者の館も真剣でないと処刑される。
時の権力者たちが作らせたものは作る方も真剣であった。

工芸品・美術品、文学作品に至るまで。揺ぎ無いものを作らなければならなかった。

わたしは夢でもモノを買わない。精神的疾患のためであるかどうかは分からない。
わかっているのは、躁鬱病と統合失調症の二つが伴なう病気であると妄想しているからかもしれない。

そもそも私の部屋の中にはこれ以上モノは入らない。
入れるとしても道路に並べるしか無い。

若者がモノを買わなくなったのは買わなくとも既に揃っているからである。
あえて買う必要はない。粗大ごみの日には通学途中にモノが沢山捨てられているのを目にする。
まだまだ使えるものが捨てられている。ああいう光景を10年も見続けていると少しはモノに付いて考える。
一体何のためにモノを買うのだろうか? 何のためにモノを作るのか?
朝から晩までモノを作るまで働いて、モノを捨てるために生きているようなもので、最終的には自分も捨てられる。
一体それが人生だろうか?

こんなことは子どもでも考えてしまう。
やがてモノよりも大切なモノがあるという統合失調症にかかってしまうのである。
私もその被害者である。


wiki統合失調症

統合失調症(とうごうしっちょうしょう、de:Schizophrenie、en:schizophrenia)とは、妄想や幻覚などの多様な症状を示す症候群[1]で精神疾患の一つ。幻覚や妄想などの症状を呈し生活能力が失われる病である。双極性障害とならび、二大精神疾患とされている。

1950年代にフランスでクロルプロマジンという薬物が一部の患者に効果があることが発見され、これを契機に抗精神病薬による薬物治療が広く行われるようになった。現在は、高血圧などと同様に薬物で症状を抑えるのが治療の主流である。1990年代後半からの非定型抗精神病薬の使用や、効果的な急性期治療、社会復帰のため福祉施設や法制度の整備などの成果により、患者の入院期間は短縮されている。その一方で、薬物療法が部分的にしか効果を示さずに、病棟内で長期に生活を継続している患者も少数であるが存在することも事実である。




ヴェルレーヌのお葬式?

2010年04月25日 21時07分54秒 | 行住坐臥
昨日はヴェルレーヌのお葬式だった。
もうひとり死んだのだが、わたしは路上をさ迷うのみで、とにかく腹が減って不安が募るばかりであった。

日傘をもった和服の婦人三人に道脇の階段で出遭うが、一応葬式の場所を聞いてみた。
場所は知っているのだが、迷っている。

まあ有名だったヴェルレーヌは男色家で愛色家であり、両刀使いであり、井上ひさしのように女房を殴って喜悦に浸り、そして才能に恵まれるのである。

彼の脳裏はには「ぶっ殺す!」の単語が隈なく襲ってくる。
実際乱暴めがけて拳銃を発射した。この拳銃発射の亡霊はピカソにも移ってしまった。
そしてわたしにも移ってしまったのであろうが、わたしよりも模造拳銃を作っていた刑事の方に移ったのかもしれない。

47news共同通信

福岡県警警部補を送検 「雑誌で改造銃購入」
 改造拳銃を所持したとして、銃刀法違反の疑いで福岡県警捜査1課の警部補岡田好典容疑者(46)が警視庁に逮捕された事件で、岡田容疑者が「十数年前に雑誌を通じて改造済みのモデルガンを数十万円で購入した」と供述していることが23日、捜査関係者への取材で分かった。

 警視庁組織犯罪対策5課は同日、岡田容疑者を送検した。

 捜査関係者によると、岡田容疑者は、雑誌の読者交流欄で、ほかの拳銃マニアが既に改造したモデルガンを売りに出しているのを見て、購入したという。

 警視庁の鑑定の結果、この改造拳銃は回転式で、銃身が真ちゅう製。実弾が発射可能で、厚さ4ミリのベニヤ板6枚を打ち抜く威力があり、殺傷能力があると判断した。

 岡田容疑者宅の家宅捜索では、この改造銃のほかにも改造の疑いがある十数丁のモデルガンや工具が見つかっており、組対5課は、一部の銃を自分で改造していた可能性もあるとみて性能などを調べている。




警察のことはさておき、ヴェルレーヌは亡くなってしまったのである。

--------
秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。
……上田敏訳
--------

わたしは何故か道をどんどん登りつめていた。いつものことで腹が減っていた。喉が乾いていた。
それでもどんどん山の方へ進んでいく。葬式の場所は全く反対である。葬式では何が起きているかはイメージでわかってしまう。

そういえば海の家へ行くのに電車を降りる場所はいくつもあった。
どの駅も海に面している。だらかどの駅に降りても海水浴には行けるが待ち合わせ場所は指定されている。
だから目的地は一つであるが、勝手に自分でその駅を決めてしまおうとしてしまう。それは海水浴の場所と海の家が多く賑わっていて、駅からも違い場所がよいと思うからである。

たぶん松林が沢山あるが、それが電車の中から景色を邪魔にしている。

もう一人死んだのは誰だったか、そうそうそれはわたし自身だった。


好きで好きで仕方がない時は自然に従うしかない! しかし、……

2010年04月25日 18時48分39秒 | 行住坐臥
人間を好きになったり異性を好きになったり、犬を猫を好きになったりするのはイザ仕方が無いことである。

人は机を好きになることもあるし、椅子を好きになることもある。
ずいぶん変わった生き物である。

知らない過去の人物を好きになることもある。
どちらかというと死んだ人たちに取り憑かれた一人である。

それでも女の人を好きにもなったし、狂いそうになったこともあり、ずいぶん投資もしてきた。
いくぶん投資もされたようでもある。

しかし、相手を殺めるようなことにはならない。
そういう感情以上の感情は持ち合わせている。
しかし、ある一線を超えて相手を殺めるなら、即刻も自分の心臓を刺した方がましである。

どんなに好きであろうともその相手と一緒に暮らすことが幸福になるとは限らないのである。
恋愛は不思議な感情である。

たとえば机や椅子を愛する方が仲良くはできる。
相手は自分に従ってくれるであろう。犬も猫も人間よりも従順で餌を上げていれば必ず従順になっていく。
しかし、人間は別の男や女を作るということも考えられる、知らぬ間に借金を重なていることもあるだろう。
碌でもない子供を産むこともある。詰まなぬことに何時までも悩んでいることもある。
自分以外の存在は常に不可避の存在でもある。
それらを含めて恒久な愛を感じているなら、永遠に愛することである。
幸福には慣れないが、愛を感じるならそれはそれは愛なのである。
人はモノを買ってもすぐに飽きてしまい、あれほど欲しかった願望とは裏腹に邪魔になり早く捨て去りたくなるものである。愛のある人は多くのものを所有しなくなる。これが古代から賢者たちの取ってきた道でもある。