『 はあとの ひかげ 』 パステル 19cm×28cm
先ほどUPした8月のカレンダー。 その作品に選んだ『 はあとの ひかげ 』はだいぶ前に一度ご紹介したことがあるが、ここで改めてこの絵の関するエピソードを紹介させていただくことに・・・。
2011年・・・2月の愛猫元さんの旅立ち、3月の東日本大震災と公私ともに悲しい出来事が続いた直後の4月・・・。 ぼろぼろになりながらも何とか開催に漕ぎ着けた銀座ボザールミューでの個展で初めてAご夫妻とお会いした。
その時お二人が手にしていたDMは、お二人ご本人ではなく、娘さんのYさん宛に出したものだった。
「実は・・・、娘のYは昨年の秋に亡くなりました」
一瞬、私はなんと答えたらよいか分からなかった。
「娘は猫が大好きで・・・」という言葉と共に、私からのDMが届くたびに見に出かけることを楽しみにしていた・・・と聞き、にわかに視界がぼやけるのを抑えることができなかった。
その前年9月の横浜個展の芳名帳に、Yさんのお名前が記帳されていた。 それからいくらも経たないうちに、Yさんは天国へ旅立ってしまったのだ。
お会いしたのが最後となったその個展の時も、決して体調が良いとは言えなかったらしい。
もちろん私はそのことを知る由もなく、来廊いただいたほかの皆さんと同じように接し、言葉を交わしていたはず・・・。
そう思うと、何とも居たたまれない気持ちになった。
一周忌が近づいた2011年秋の横浜個展で、ご両親はYさんのために何か一作を・・・と思ってお出かけくださったとのこと。 それを聞いただけで、私は胸がいっぱいになってしまった。
そしてこの『 はあとの ひかげ 』が選ばれた。
何故この絵を・・・という理由はあえて訊かなかった。 しかし、私は心の中で何とも言い難い感慨を覚えていた。
戸外の猫を描くとき、その背景の中の木々に新芽を描き入れることがよくある。
私にとってそれは新たな生命の息吹であると同時に、再生の象徴でもある。
Yさんがいろいろなかたちで生まれ変わり、ご両親、ご家族を見守り、生きる力になってくれるようにと願った。
同時に、小猫の額の“はあと”(ハート)の形に映った影には、きっとご両親ご家族のYさんを思うお気持ちがいっぱい詰まっていると強く思った。
私は心の中でただただ祈った。
「 愛する存在を亡くした悲しみは、どんなに時間が経っても消えることはないだろう。
それでも大の猫好きだったというYさんが、本物の猫はもちろんのこと絵の中の猫を目にした時にきっと見せてくれたはずの飛び切りの笑顔を、時にはお二人に想い出してもらいたい。
今すぐに・・・などとは決して思わない。
どれほどの時間がかかるか見当も付かない。
しかしいつの日か、私が描いた絵の中の猫が、たとえほんの一瞬でもご両親ご家族の心の中にYさんの笑顔を蘇らせるきっかけになってほしい。
少しずつ、少しずつ、“時”の持つ偉大な力によって、深く大きな悲しみが、やがて静かなやさしい想い出に変わっていきますように・・・」
あれからこの秋で8年になる。
個展のたびにDMを送らせていただいた。 毎回とまではいかないが、それでも何回もお出かけいただいている。
そして何より嬉しいのは・・・、初めてお会いした時にはまったくと言っていいほど見ることのなかった笑顔が、お会いするたびに少しずつ増えてきたこと。
次にお会いできるのはいつになるか分からないが、きっとまた少し笑顔を見る時間が長くなると信じている。
先ほどUPした8月のカレンダー。 その作品に選んだ『 はあとの ひかげ 』はだいぶ前に一度ご紹介したことがあるが、ここで改めてこの絵の関するエピソードを紹介させていただくことに・・・。
2011年・・・2月の愛猫元さんの旅立ち、3月の東日本大震災と公私ともに悲しい出来事が続いた直後の4月・・・。 ぼろぼろになりながらも何とか開催に漕ぎ着けた銀座ボザールミューでの個展で初めてAご夫妻とお会いした。
その時お二人が手にしていたDMは、お二人ご本人ではなく、娘さんのYさん宛に出したものだった。
「実は・・・、娘のYは昨年の秋に亡くなりました」
一瞬、私はなんと答えたらよいか分からなかった。
「娘は猫が大好きで・・・」という言葉と共に、私からのDMが届くたびに見に出かけることを楽しみにしていた・・・と聞き、にわかに視界がぼやけるのを抑えることができなかった。
その前年9月の横浜個展の芳名帳に、Yさんのお名前が記帳されていた。 それからいくらも経たないうちに、Yさんは天国へ旅立ってしまったのだ。
お会いしたのが最後となったその個展の時も、決して体調が良いとは言えなかったらしい。
もちろん私はそのことを知る由もなく、来廊いただいたほかの皆さんと同じように接し、言葉を交わしていたはず・・・。
そう思うと、何とも居たたまれない気持ちになった。
一周忌が近づいた2011年秋の横浜個展で、ご両親はYさんのために何か一作を・・・と思ってお出かけくださったとのこと。 それを聞いただけで、私は胸がいっぱいになってしまった。
そしてこの『 はあとの ひかげ 』が選ばれた。
何故この絵を・・・という理由はあえて訊かなかった。 しかし、私は心の中で何とも言い難い感慨を覚えていた。
戸外の猫を描くとき、その背景の中の木々に新芽を描き入れることがよくある。
私にとってそれは新たな生命の息吹であると同時に、再生の象徴でもある。
Yさんがいろいろなかたちで生まれ変わり、ご両親、ご家族を見守り、生きる力になってくれるようにと願った。
同時に、小猫の額の“はあと”(ハート)の形に映った影には、きっとご両親ご家族のYさんを思うお気持ちがいっぱい詰まっていると強く思った。
私は心の中でただただ祈った。
「 愛する存在を亡くした悲しみは、どんなに時間が経っても消えることはないだろう。
それでも大の猫好きだったというYさんが、本物の猫はもちろんのこと絵の中の猫を目にした時にきっと見せてくれたはずの飛び切りの笑顔を、時にはお二人に想い出してもらいたい。
今すぐに・・・などとは決して思わない。
どれほどの時間がかかるか見当も付かない。
しかしいつの日か、私が描いた絵の中の猫が、たとえほんの一瞬でもご両親ご家族の心の中にYさんの笑顔を蘇らせるきっかけになってほしい。
少しずつ、少しずつ、“時”の持つ偉大な力によって、深く大きな悲しみが、やがて静かなやさしい想い出に変わっていきますように・・・」
あれからこの秋で8年になる。
個展のたびにDMを送らせていただいた。 毎回とまではいかないが、それでも何回もお出かけいただいている。
そして何より嬉しいのは・・・、初めてお会いした時にはまったくと言っていいほど見ることのなかった笑顔が、お会いするたびに少しずつ増えてきたこと。
次にお会いできるのはいつになるか分からないが、きっとまた少し笑顔を見る時間が長くなると信じている。