鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

(臨時版)人生観比較・再論

2015年09月26日 | 米国への無知を正す



この2~3回に、米国人と日本人の人生観についてのべた。

フェースブックにて孤軍奮闘で日本に警鐘を鳴らし続けておられるkozue yamamotoさんの問いに応えるためもあって、ここでもう一度この二つを比較しながら、~繰り返しを含めながら~、人生観についてまとめてみようと思う。





<統治者は社会の安定を志向する>

人は集まって社会を形成する。

一旦出来あがると、その統治者は、社会の安定のために自らの価値観に人民を染め上げようとする。

それは本能のようなものであって、人民の方にこれといった価値観がなければ、どこまでも染め上げを進めようとする。




<個人の喜びに最大価値を置いていた人々>

だが、聖句自由吟味活動者は、自らの喜びを持っていた。

それは、聖句の奥義を、自由吟味を通して見出したとき、味わえるものだった。

この喜びは、知性と精神の神髄に至る深いものであった。

彼等は、それを何ものにも代えられなかった。
それ故、統治者の統一志向に従順することなく、聖句自由吟味活動を守り通した。

+++

英国に大量移住した彼等の姿は、英国人に深い感銘を与えた。
その結果、英国人にもこの喜びを密かに取り入れようとするものが、増大した。





<王権神授説に取って代わる思想>

ときあたかも英国には、王権神授説が流布していた。

王の統治権は、創造神によって直接与えられたもので、絶対だとする思想であった。

そして、この思考枠が聖句吟味をするものにも、自然に取り入れられていった。

人間一人一人に、聖句の自由吟味をする権利が、創造神から与えられているのだ、との思想が自然にわき上がった。

この権利こそ絶対的なもので、それは「王権にも勝る」との思想であった。

そこから、国家社会の統治というのは実は、人民との契約によって成り立つものだという思想も萌え出た。〔「社会契約論」はその代表)





<燎原の火のごとく>

この思想は速やかに広がった。

それは、「人民には、聖句自由吟味にだけでなく、個々人の思考全般の自由も、ひいては言論の自由も権利として与えられている」と拡大した。

また、「国王も国権も、これを犯すことは出来ない」「国政も人権に支障を与えないようになすべきだ」という論理も展開した。

のみならず、「国の統治者は、この自由な人権を最大限に発揮させるようにして、国政を行うべし」という思想も生じた。

そして、これが西欧一般の人権思想となった。





<英国知識人の思想革命>

英国の知識人にも、この思想は強く訴えるものがあった。

その結果、トーマス・モアはこの思想をベースにして社会が運営されている架空の島「ユートピア島」の物語を書いた。

ジョンロックもこの思想をベースに「人間知性論」「寛容について」などを著した。

デビッド・ヒュームも『人間本性論』『英国史』などを書いた。

+++

この思想は、国王の従来の権威を崩し、利益を失わせる力を持っている。

そもそも、王権神授説は国王と一族の益になる思想だ。
だが、彼等の数は少ない。

他方、天賦人権思想は、人民個々人をいい気持ちにするものであり、彼等の数は圧倒的に多かった。

天賦人権思想は、欧州大陸のフランスにも伝わり普及した。

それは植民地米国の人民にも、当然のごとく普及していった。




<日本に人権思想は芽生えない>

いまのべた、欧米の状況から日本史を照らしてみよ。
日本には人権思想など生成しようがなかったことが、よくわかるだろう。

日本の人民の間には、なんとしても守るべき、という活動が、個人の暮らしの中になかった。
聖句吟味活動のようなものは、なかったのだ。

代わりに、江戸時代を通して、武士道という人生観が武士の間に出来上がっていた。

これは「自分が属する藩のために、自分のいのちをなげうつ覚悟を常時定めているべし、という滅私奉公の自爆人生観」であった。

+++

個々人が、自らの喜びのために、肉体の死を賭してでも守ろうとするものを持たなければ、この全体主義の極のような武士道精神は、際限なく個人の人生に浸透していこうとする。

そしてこの思想は、明治の版籍奉還・廃藩置県政策の成功によって、国家武士道に変異した。

さらに日露戦争に辛勝したのを契機に、統治者がこの人生観の浸透に入れ込んでいった~愚かなことに~のである。

大正、昭和期にはこの動向はもう止めようがなかった。
日中戦争、太平洋戦争の時期になると、人民の楽しみである音楽でさえ、多くが敵性音楽のレッテルを貼られ制限された。

言葉すらもそうであって、野球におけるストライクは「本球(ほんきゅう)」、ボールは「外球(がいきゅう)」でとなった。
こう言わないは「非国民」となった。(誰ですか! 吹き出し笑いした人は)

こうして、人民の思考の隅々にまで、滅私奉公・自爆人生観は浸透させられていった。

>何のために?・・・戦争に勝つため。



>では戦争に勝つのは何のため?・・・人民が豊かで自由な暮らしが出来るため・・・

~これはなかった。こんなこと言ったら「非国民」となった。



・・・今思えば「狂っている」と言うほかないが、指導層に参入した人間は、そう思い当たることもなかった。





<敗戦でも新しい人生観は生み出されなかった>


敗戦も、この思想の進路に煉瓦ブロックを置いたに過ぎない。

その結果「もう自分の生命以上の価値など絶対に信じないぞ!」という情熱だけが生まれた。

滅私奉公・自爆人生に取って代わる積極的な人生観を、人民は造ることが出来ないままで前進した。

生まれたとすればそれは~

「命が一番大事だよ。人間元々裸じゃないか。それ以外の価値など、捨てて進もう。♫みんな捨ててこ、ステテコシャンシャン♫」

~という人生姿勢であった。

今日まで、基本的にその状態で日本人は来ている。







<自衛隊は弱い?>

余談である。

「(肉体の)生命が一番」という人生姿勢は、戦場には全く適さない。

適さないどころか、人間を死への恐れでさいなみ続ける。

筆者は、日本の自衛隊は予想外に弱いのではないか、と思っている。

幹部はとにかく若い隊員は、戦場に四六時中置かれたら、死の恐怖で精神・人格が破壊されてしまうのではないか。
特に、囲い込むようにして入隊させられた若者には、精神疾患が続発するのではないかと懸念する。

+++

敗戦は日本人を様々な「縛り」から解放した。

その大半は、GHQがしてくれたものだが、とにかく解放された。

だが、従来の自爆人生観に代わる人生観・世界観は産み出されなかった。

集団的自衛権は、この問題に本格的に取り組ませる契機となるか。
見守っていきたい。

幸か不幸か、70年間の徴兵なき社会の中で、たまたま、徴兵年齢を通過し得た世代としては、勝手ながら、見守っていきたい、という外ない。

若者たちよ、ごめんなさい。














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