鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

日本教育の閉塞感打開の秘訣~教育に二類型あり~

2015年12月25日 | 米国への無知を正す





日本の学校教育が何かおかしい。

自由、独創性などが育たず、服従、模倣の精神が優越した人間が造られている。

~そういう指摘は久しくなされてきているが、打開策が明確に見出されることなく、今日まで来ている。




<教育の二類型>

打開策を見出すには、まず、教育には二つの類型があることを自覚せねばならない。

そもそも、教育とは、人を「教え育てる」という言葉だ。

それは、人間を、現状から「目標とする人間像に変える行為」だ。

だから、その理想像、つまり、目標とする人間像を探るのが教育を考えるに必要なのだ。





<「命令=服従」の行動様式を育成>

目標像の一つは、「命令に正確に服従し秩序を守る人間」だ。

人間集団は社会を形成してその恩恵を受けて生きていく。

個々の構成員は、その社会の秩序を守り、社会を維持していかねばならない。

そこから、そのために貢献する人間を目標の人間像として教育していく、
・・・という教育観が出てくる。

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具体的には、学校ではどのようにするか。

まず、学界で定説とされている知識を、「正しい知識」として、教科書に整序する。

そして、それを真理として、反復習得させるという教育である。

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この典型は、軍人教育に見出せる。

軍人は、上層の命令に即座に服従する必要がある。

でないと、戦時に、軍隊が敏速に機能しない。

だから、軍人学校の教育では命令に反射的に反応する資質の形成が重視される。





<自由意志の中で理解納得して秩序を守る>


もう一つは、「自由意志を認められて、その中で、秩序も理解・納得して守る個々人」という人間像である。

これを目指す教育では、具体的には、教科書も自由吟味素材とし、数人の小グループで自由討論をさせる。

グループとしての結論は出さない。

個々人がそのなかで、当人の現レベルで納得できる知識、見解を抱くのを許す。

そして、それを「正しい知識」と認める・・・という方法だ。






<初代教会でまず現実像が現れる>


とはいえ、そんな方法が人間に実現できるとはなかなか思えない。

人間が自由意志を認められ、自由に行動を決めていったら、集団社会はボロボロになるのではないか。

そうとしかイメージできない。

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だが、この方法でも、社会は一体性を維持できる。

そのことは、理屈よりも先に、歴史事実がまず示してくれた。

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歴史上始めたのキリスト教会を、「初代教会」という。

ここで自由吟味方式が、事実として先に実現されてしまった。





<初代教会の小グループ方式>

その実体をかいつまんで説明しよう。


キリスト教会はイエスの直接の弟子たちのもとに、多くの人々が集まることによって始まった。

イエスがいなくなった後、その約束通り弟子たちに、病の癒やしをはじめ様々な奇跡が現れた。

驚き集ってきた人々に、弟子たちはその理由を聖書(当時は旧約聖書)を解き明かす形で示した。




キリスト教の聖書は、新約聖書と旧約聖書で構成されているが、この時代、聖書は旧約聖書しかない。

イエスは、生前、旧約聖書は「わたし(イエス)のことを述べた書物」と教えた。

弟子たちは、集まってきた人々に、旧約聖書をイエスを比喩で述べたものとし、
その比喩を解き明かすことで奇跡を説明した。

これに感銘を受けた人々は、弟子たちの群れに加えてくれと願った。
この日だけで、新参加者は2000人を数えたと、記録されている。

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こんな多くの人々を、限られた弟子たちが、ひとまとめにして対処することは出来ない。


弟子たちは、参集した人々を数人からなる小サークル(これをスモールグループという)にわけた。

リーダーを選ばせ、その一人の家で聖書の自由吟味会を続けさせた。
(後年これが「家の教会(House Church)」と呼ばれるようになる)

教会全体の一体性は、リーダー間の任意連携によって実現された。

こうして始まった史上最初の教会が初代教会であった。





<聖句自由吟味方式>

初代教会では、活動は聖句j自由吟味方式で行われた。

後年後継者たちは、それを英語ではBiblicism(バイブリシズム)と呼ぶようになっていく。

鹿嶋はそれを聖句主義と邦訳している。


バイブリシズムの「イズム」というのは、「~を上位に置く」という意味の接尾語である。

バイブリック(Biblic)というのは、「聖句的」「聖句に最高の権威をおいて」という意味である。

聖句に最終権威をおき、いかなる解釈よりもそれを「上位に置く」からバイブリシズムなのである。

だからそれは、結果的に、個々人の聖句吟味を自由にする、という方式になった。

個々人が、数人の小グループにそれを持ち寄って、自由に吟味会を行うのである。





<解釈自由の原則>

初代教会では「個人の聖句解釈自由」の原則で活動した。

一つの解釈に最終権威を与えることをしなければ、必然的にそういうことになる。

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だが、解釈自由にしても、教会員たちが各々が全く勝手放題に聖句解釈し

教会がバラバラになるようなことは実際には起きなかった。

彼らは数人の聖句吟味グループをつくって活動する。

「聖句には各々究極の真理がある」という期待を共有して吟味をおこなう。

すると、思いっきり深く広く聖句を吟味することができるし、実際には合意・共有できる基本原理も見えてくるのだ。

そしてそれを積み重ねていくことによって、聖書の世界観の大枠は合意されていく。

もちろん細部での違いは出る。

彼等はその違いを尊重してグループとしての結論を出さなかった。

そしてその吟味を次の課題として残す、という方法をとった。

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吟味・解読していくと「これは真理だ!」と皆で深く確信する解読にも至ることがある。

それは彼らの心に、深い感動を沸き上がらせた。

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神髄に触れるような解読が出来ると、ちから(しるしという)が現れることも多かった。

まあ、このあたりについては「まゆにつばする」読者もいるだろうが、その人は気楽に眉唾してたらいい。

とにかく、そういう体験を初代教会方式の活動をしている人々は、周期的にした。

この感動とよろこびが初代教会方式の活動者(つまり聖句自由吟味方式で活動する人々)の心深くに浸透した。

この方式の小グループ(家の教会)は、教会発足後わずか30年で、全ローマ帝国に散在するようになった。


    

<北欧、英国を変え、そして米国を産んだ>

そして、聖句自由吟味を許さないで、一つの解釈(教理)を正統とし、
これを信徒に守らせる方式をとる教団、カトリック教団がローマ帝国の国教になった。

彼等は、自由吟味主義者を異端(いたん)として、とらえ、処刑をした。
中世1200年の間に、推計5000万人が殺された。

だが自由吟味者の、ある群れは、北欧地域に逃れ、活動を続行した。

北欧諸国の小学校教育が、小グループの自由討論方式で行われているのは、
聖句自由吟味の歴史遺産が継承されているからである。

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別の群れは、英国国教会が成立したとき、英国に逃れ、英国に自由吟味活動の影響を多大に与えた。

その後、彼等は、北米新大陸に移住し、アメリカ合衆国を聖句自由吟味方式ベースの国家として建国した。

米国では自由吟味主義者の行動様式が、教育や国会での議論の仕方や、人々の人間関係のあり方、
その他の文化を根底から規定している。





<閉塞状態が打破されるとき>

福沢諭吉は米国を旅して、これらの方式を速やかに吸収し、帰国後、その学習方法を彼の福沢塾に活かした。
慶應義塾の勉学に自由討論方式の色彩が、日本の学校のなかでは比較的濃いのは、それによる。

それが何となく世間に一定の影響をして、日本の大学教育には、自由吟味の要素がほのかにあるが、

原理を明確に自覚することのない、ムードとしてのまねごとである。

だから小中高校の教育者は依然として軍隊式教育法しかしらないのが現状だ。

これしか知らないのが、日本学校教育の閉塞感の真因である。

この状態は彼等が、聖句自由吟味方式そのものを知るとき、初めて打開されるだろう。





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