鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

米国への無知を正す44 ~日本マスコミ人の惨状~

2015年11月04日 | 米国への無知を正す






前回、マルクス理論の「暗」の部分を、人々(特に日本人)は未だに認知していなくて、「マルクス=真理」気分が日本では大勢を占めている、ことを述べた。

マルクス思想の不気味な部分は、本来、新聞などのマスメディアは理論的に知らせるべきである。
だが、日本では、マスコミ人にその能力が伴っていない。

信じがたいことに聞こえようが、ここで、その事実を述べておく。

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筆者はその事情を前にも書いている。

~【日本のマスコミと政治的無能について】
2012年07月09日 | 「幸せ社会の編成原理」~

で述べている。
だが、これは見逃してはならないことなので、要約してここに再録する。




<新聞社生い立ちの貧しさ>

マスメディアの走りは新聞だ。
日本ではそれは明治維新以降に生成した。

維新後、日本政治の最大課題は「国の西欧化」だった。
そのためには為政者はとにかく「洋行して現場を見なければ」ければならなかった。
現場を見ないことには、具体的政策は浮かばないからだ。

そこで乏しい国費から指導者とその候補を海外に出した。
岩倉具視を団長とする西欧視察団に始まって、人材をふんだんに遊学させた。 
 
「坂の上の雲」の主人公、秋山兄弟も、ともに海外遊学に出してもらっている。

国民は、そのための重税に耐えた。
             
だが、新聞社を始めた人々には洋行するお金はなかった。






 <扇情的記事を中心にするしかなかった> 

西欧を中心とした国際社会の実情を肌で感じられるようになるには、最低限、2年くらい海外でゴロゴロする必要がある。
ところが新聞社は貧しくて、記者はもちろん、社主にもそれをさせられなかった。

西洋の現場情報がない彼らは、政府の政策に関して具体的な評論などなにもできない。

だから政治家の汚職とか女性スキャンダルの暴露記事などを中心とした紙面しか作れなかった。

そして『魔風恋風』といった類の、扇情的な連載新聞小説で読者の興味を引くしか出来なかった。

このように、もう出発点から、日本のマスコミは「低級」を宿命づけられていたのだ。

<俺たちが遊学させてもらってないのに>

だったら、新聞社も大きくなったら若い者を海外遊学させたらいいではないか、と常識的には考えられるが、そうならないのが「日本人」だった。

先輩(上司)たちには「俺たちはやってもらわなかったのに」といった不公平が強く、結局、特派員以外は出さなかった。

それが風習化・制度化して、戦後登場したTVメディアの世界にも及んでいる。
新聞社に始まった旧態がなんと、今日のマスコミ界全般にまで及んでいるのだ。

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その状況で歳を取るのだから、マスメディアの論説委員もインテリジェンスは低い。
論説委員なんていうと、聞こえがいいけれど、会って話してみると、信じられないほど凡庸だ。
NHKも**通信といった通信社も事態は同じだ。




<限られた観察経験だが>

筆者の限られた体験だが、そうした中で「これではいけない」と気づき、定年近くになって、早期退職して、遅ればせに米国暮らしなどをする人も、少数ながらいた。

彼らは、前職のイメージを活かして、どこか日本の大学の専任教員になりたいと望んでいた。
それで日本の大学教員とつながりをつけようと、米国の大学キャンパスをごろごろしてもいた。 

それで、うまくいった人もいた。
日本の大学は、依然として、大新聞とか通信社とかNHKとかの肩書きイメージに弱かった。






<一般企業の海外駐在員の方が優れていた>
                                 
他方、当時メーカーなど一般企業は、1980年代くらいになると、湯水のように海外勤務に社員を送り出していた。
その彼らの方が、大新聞やNHKの幹部記者より国際社会への見識をはるか豊かに持っていた。
その現象は、おそらく、今も続いていだろう。





<NHK政治情報の低級さ事例>

ことほど左様に、日本のマスコミ人は低級だ。

日本の大手マスメディアの低級さを例示している記事(2010年7月30日)を紹介する。
このチャーチに時々寄稿下さっているSabiaさんのブログから、記事の主要部分をコピペさせてもらう。




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(以下、引用)

昨夜、NHK9時のニュース番組を見ていると、民主党の勢力争いを「わかりやすく」解説していた。
要は総理を中心に、実力者の誰と誰を取り込んで、誰と敵対している云々という話だ。

したり顔の解説者と納得顔のアナウンサーを見ていて、どうも報道のありかたを勘違いしているように思われてならなかった。
なぜ、政治家としての理念や掲げている政策の違いなどに言及しないのか?

党内の勢力分布図というと、いかにも分析しているみたいだけど、実際は民放で昼間にやっているワイドショーと同レベルだ。

国民が政治家に願っているのは、誰が権力の座についてもいいから、経済を立て直し、外交ではメンツを保ち、社会を安定させてくれることのはずだ。

その過程で誰と手を組もうが、反目しようが二の次三の次の問題だ。

政治に関心があるというのは、政党内外の人間関係に興味があるということではないはずだと思う。

まして、野党ならまだしも民主党は与党なのだから、国のために何をしてくれるかだけが問題になるのでなければ、チャンチャラおかしい。

わざわざ天下のNHKが、ゴールデンタイムに、丁寧に解説することでもないだろうと、不審に思ってた次第でした。

(引用、以上)

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戦後、日本統治のため厚木空港に降り立ったマッカーサー、GHQ司令長官が日本で放った第一声は~

 「日本人は政治的には13才」

~だった。

戦後、テレビも加わったマスメディアは、この状況を変えるべき強大な情報散布力を持っている。

だが、その物理的機能は、上記のごとき知的無能に故に、有効に働いていない。

マルクス理論の正しい知識も、それ故に、人々に伝えられない状態に留まっているのだ。








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1 コメント

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マッカーサーの言葉の意味 (latino)
2015-11-23 02:20:53
マッカーサーが議会で、日本は12歳の少年のようだといったのは、民主主義が日本に根付くだろうか?導入できるだろうか?という質疑に対しての返答だったのでのではないでしょうか?
これは政治的に未熟であるという意味にも取れますが、ホワイトボードのように書き込みができるので、民主主義が根付く素養があると述べたのではないでしょうか?原文を以下に記します。
Nevertheless, of course the Japanese-American relationship was never a partnership between equals as far as the Americans were concerned, as was made blatantly clear by General MacArthur at the American Congress in May 1951. He was asked whether he thought the Japanes could be trasted to maintain a free democratic society. His anser was "yes" and tehn he preised Japanes innocence and malle-ability in a typically patronizing manner. It was MacArthur's intention to argue that " the Japanese could be trusted more than the Germans"(Dower 1995:550), and here was the way he put it:

リンクは下記からです。
https://books.google.co.jp/books?id=lDQwz9h6pOoC&lpg=PP1&dq=Japanese%20Cinema%20Goes%20Global%3A%20Filmworkers'%20Journeys&hl=ja&pg=PA39#v=onepage&q&f=false

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