鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.14 稲盛さんの「修行の道」

2007年09月11日 | 稲盛「哲学」と聖書の思想
                    


「稲盛『哲学』と聖書の思想」第14回です。

 第11回に、「煩悩(ぼんのう)」という考え方が出ました。
 これは、その煩悩を治める為の「修行の道」とセットにして理解しておくのがいいようです。
もちろん修行も仏教の思想です。
稲盛さんは、それを援用するのです。

                    


修行の道は6つあって、仏教では六波羅蜜といっています。
波羅密というのは、智慧という意味だそうです。
六つの知恵ですね。

六つの波羅蜜は、前述した六つの煩悩に対応しています。
具体的には、その智慧(波羅蜜)を作り上げる修行をいっています。


                   


<六波羅蜜>

六波羅蜜とは次の如しです~~

1.布施(ふせ)=他人を助けてあげる修行。
        煩悩のなかの「貧(とん:何でも我がものにしようとする貧欲な妄念)」に対応しています。

2.持戒(じかい)=戒めを心に保持する修行。
        煩悩の「瞋(じん:自分の勝手な振る舞いで怒るような浅ましい妄念)」に対応しています。


3.忍辱(にんにく)=無常な世の変化を堪え忍ぶ修行。
       煩悩の「癡(ち:無常である世の中を「変わらない」と考え、不平不満を鳴らす妄念)に主に対応しています。

4.精進(しょうじん)=一生懸命働く修行。
           煩悩のうちの「慢(まん:傲岸不遜な妄念)」に主に対応しています。

5。禅定(ぜんじょう)=座禅を組んで心を鎮める修行。
       煩悩のうちの「疑(ぎ:シャカの説く真理を疑う妄念)」に主に対応しています。


6.智慧(ちえ)=宇宙の真理の悟りに到る修行。
         煩悩のうちの「見(けん:物事を悪い方に、悪い方にと見ていく妄念)」に対応しています。


                    


 6番目の「智慧」は最後のゴールでしょうね。それ以前の5つはみな、このゴールに明確に向けられたものでしょうから。
 智慧とは、そのゴールを直接目指した修行、と理解したらどうでしょうか。

                    

 稲盛さんは、智慧の悟りにまで到らなくても、死ぬまでに少しずつでも心が綺麗になっていくことに価値がある、と考えます。

例えば、「貧乏でも、病気でも心を鎮め、高めていくことは出来る」という。
貧乏だと普通心がすさむが、「貧乏でもいいではないか、三度三度の飯が何とか食べられるのだから」と思えば(知足:足を知ること)、人生観はいっぺんに変わる。生きる勇気が湧いてくる、といいます。

また、こうも言っておられます~~

恵まれた環境にありながら、(布施もしないで)自分の財産が減ることを何よりも恐れている人がいる。
そういう人生には値打ちも魅力もない。
本当の意味での人生の目的から遠のいて行くだけだ~~と断言しておられます。

                    


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大変興味深く読ませていただいています。 (andygoo)
2007-09-13 09:01:48
鹿嶋先生、

以前から稲盛氏の哲学とネストリウスキリスト教に関心がありましたので、大変興味深く読ませていただいています。

先生の明快な切り口、絶妙に思います。
返信する
お久しぶり (鹿嶋春平太)
2007-09-13 11:18:43
アンディ中島牧師

 お久しぶりです。

 ネストリウス派のキリスト教は、景教とも呼ばれました。
 韓国、日本にまで景教の影響は及んでいて、いくつかの資料が出ているようです。
返信する

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