鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.13 涅槃仏教と浄土仏教

2007年09月10日 | 稲盛「哲学」と聖書の思想
                   


 仏教については、補論しておくことがあります。

仏教という言葉は、今日では二つの系統を含んでいます。
鹿嶋はそれを「涅槃(ねはん)仏教」「浄土仏教」と呼んでいます。


                    


<涅槃仏教>


涅槃というのは「心の平安な状態」を意味しています。
仏教的ないい方をすると「煩悩を断じて絶対的な心の静寂に達した状態」となります。
するとこれは「悟り」に到った状態と同じになりますね。

これを究極のゴールとして求めるのが、涅槃仏教で、釈尊(シャカ)が探求したのはこれでした。
だが、この教えが中国に伝わりまして、唐の時代になると、ネストリウス派のキリスト教が長安を始めとする都市で多くの信仰者を集めました。


                    


<ネストリウス派キリスト教>

ネストリウス派の特徴は、「イエス両性論」にあります。
欧州大陸に残ったカトリック派は、「イエス神性論」で、イエスは創造主の子で、創造主の性質のみをもつ、という神学を報じていました。
 
 それより前に、「イエス人間論」を主張する会派もでました。アリウス派という教派がそれで、イエスは「創造主も自分の子と思うほどに優れた人間」だった、と考えます(これについては拙著『キリスト教のことが面白いほどわかる本』中経出版、をご覧下さい)。

紀元後4世紀に、このアリウス派とカトリック教団との間の神学論争が激しく行われました。その結果、アリウス派はカトリック派に敗れ、追放されました。彼らは当時未開の地だった、ゲルマン地域(今のドイツ地方)に逃れてそこで宣教しました。

 その後「イエス両性論」で売り出したネストリウス派が出たわけです。これも賛同者を集めましたが、結局カトリックに追放され、これは東方に宣教の地を求めました。その動きが遠く中国にも達していて、彼らの説く教えは多くの信仰者を集めました。

                    


<浄土仏教の出現>

で、ここからは鹿嶋の推察を含めた考察です。

中国の仏教僧のなかに、これに興味を持ち、情報を集めるのが出た。
そのうちで、自分たちの仏教(涅槃仏教)にないコンセプトである天国が、人々の心に入っているのを知った。

彼らの中に、このコンセプトを涅槃仏教に接ぎ木することを志すものが出て、色んな理論を試みた。
それらを集大成し、天国を極楽浄土として教えを造った立役者が善導上人です。

かくして中国に浄土仏教が出現しました。
それが日本にも伝わり、法然がそこに真理を感知し、法然にそれを学んだ親鸞もまた、この教えに真理を察知しました。

+++

善導は、浄土仏教の教えこそが、釈尊の真意だった、という解釈をして理論を造りました。
だから、従来の煩悩も涅槃も人間論としてそのまま残っているわけです。

 ただし、教えの究極のゴールを極楽浄土(天国のパロディ)におきますと、人間の煩悩を追求し暴き出すというところへの情熱はやはり、涅槃仏教よりも少なくなります。
 日本の浄土仏教を見ている限りでは、煩悩からの脱却と涅槃への接近の為の修行は、お坊さんにおいても、稀薄なものになっています。

 稲盛さんの生家は、浄土仏教(浄土真宗だったか)だそうですが、京都に来られて学んだのは涅槃仏教(禅宗)でした。自ら出家して修行し、得度までしたというのですから、半端ではないのですが、とにかくそこにも稲盛さんの直感力を伺うことが出来るでしょう。


                    

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