時代が下って、19世紀に出た事例を ②として示そう~。
**************************
②
・旧約聖書に出てくるエホバはイエスの父の名だ。
・彼は、モーセを通して人間に律法を与えた。
・イエスは自ら「父は私より偉大」といっている。
・我々はエホバが伝えた律法こそを大切に学び守らねばならない。
・また我々はそのことを証言する「証人」として
生涯、伝道すべきだ。
************************
~この思想② は、19世紀の米国に出現している。
提唱者はチャールズ・ラッセル。
+++
~この改造思想は、意図的なものではない。
少し説明が要る~。
@@@@@@@@@@@@@@
最近の聖書に記されている「主」(英語では "Lord” と記されている) の語は、元々は「エホバ」(Jehovah) であった。
(日本語の文語文聖書にも「エホバ」と訳されている)
改造理論のエホバは、それをいっている。
@@@@@@@@@@@@@@
~本筋に戻る。
この理論はエホバの名の奥義を解読できないが故に、結果的に出た改造理論なのだ。
(正しい解読は、鹿島春平太『エホバはイエスの父ではない』
アマゾン、Kindleブックス、を参照)
がともあれ、結果的にこれは、イエスの名の権威を、エホバの名に移し替えている。
+++
そして、この教えは、日本でも(世界でも)結構、猛威を振るっている。
人間の心には、「宗教」というと、規律(律法)で縛ってくれる教え、修養する活動、との期待もある。
その期待が大きい人は、これに注力するのだ。
(続きます)