前回、聖書の世界理論を改造した新宗教が、多く出る~と言った。
目に見えるものだけで形成された世界観では、全ての存在について、ただ、
「あるぅ~(存在する~)」
~というイメージしか得られない。
「自分はなぜ存在するかに答えるには、「創造者(主)あり」の世界観がいるのだ~と。
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さて、今回強調しておくべきことがある。
それは「改造思想が、改造されているかどうか」は、聖書本来の論理を知っていなければ、全く判断できないということだ。
知らなかったら、比較が出来ない。それが「改造理論」であるかの認識ができない。
「ああ、ここが本来のものと組み替えられているな・・・」という判断が皆目出来ないのだ。
繰り返すが、判断できるためには、「聖書本来の論理を知っていること」が不可欠なのだ。
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その聖書本来の論理を知らない人が圧倒的に多いのが日本の実情だ。
だから、ニッポンでは改造新宗教によって取り込まれる”カモ”が、後を絶たない。
あるいは、それを避けるために、とにかく「宗教は怖い!」と逃げ回るだけしか出来ないでいる。
だが逃げ回っているだけでは、自分は守れるかもしれないが、
取り込まれてもがき苦しんでいる人を救えない。
それが自分の子や親であっても、地獄から救えない。
今回わかった襲撃犯人の家族状況は、それを我々日本人につきつけもした。
(続きます)