鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

粗雑な肉体を着せたのも・・・

2005年10月14日 | 「考える宗教」へ
                        



イエスは、人間社会を悪魔のわざを滅ぼす舞台装置として創った~~その論理は、人間の肉体ついても、あたらしい理解を与えてくれます。

 人間の肉体って、霊に比べたら粗雑なものです。
 百年もたったら、衰えていって、循環運動を止めて死んでしまいます。
 そして、自己分解してしまう。

 百年たたないうちにでも、物理的な力を加えたら壊れて、やはり循環運動を止めてしまいます。
 細菌がちょっと働いたら、異常が起きます。

 温度も、36.5度あたりに保たないと、やはり循環運動が止まってしまいます。
 2.5度高くなったら、もうあえぎ出す。
 2.5度低くなったら、循環運動はとまります。

 鹿嶋は飛行機に乗っているとき、考えることがあります。
 この飛行機が空中分解したら、自分は海に落ちるまでの間、何を考えどういう気持ちでいるだろうか、と。結構長い時間ですからね、海面に落ちるまでは。鳥のように、楽しんでやろうかな・・・。

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 でも、すぐにそういう疑問は無意味だと気づきます。
 だって、外の空気で体温はすぐに34度に下がってしまいますから。
そうしたら、もう、肉体は死んでますから。

 そうしたら聖書の思想では、霊が抜け出すことになっています。
だったら、それを肉体の中に入れるなんてこと、創り主はしなかったらよかったのに・・。天使のように、霊だけにしておいてくれたら、飛行機に乗っていても心配することなくなるのに・・・。

+++

 ・・・そんなことまで考えられます。
しかし、イエスが悪魔の本性の証拠を挙げるには、そういう肉体を人間の霊に着せることが必要だった、ということになるんですね。

 イエスは、そういう人間の身体をきて、自らも地上に現れるわけです。
 すると、その身体は、やはり、十字架上で物理的な力を加えられたら、循環運動が停止してしまうんですね。

 そういう肉体を着た人間の姿をとってきたからこそ、悪魔は、これを壊そうと思えるわけですね。壊して殺そうと考える道が開けるわけです。

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 そのために、イエスは、霊としての自分と同じ形にまず人間の身体を創った。
そして、その身体の中に、創り主と交信できる霊を入れた。

 その身体は、粗雑につくった。
 そうしたらちょっとしたことで病にもなります。
目も見えなくなるし、痛風にもライ病にもなります。
それで人間は苦しみます。

 イエスはそれをあわれんで、癒しまくります。
 自分がそういう風に、創ったんですから。

 (必要上、そういう風にするしかなかったんだったら、がんばってもらわなきゃ・・・)

 触れうる限りに、哀れみ癒してあげます。
 そこまでしか、出来なかった・・・。
 病にならない、壊れないという、霊のように緻密に出来た身体を創ってあげることは出来なかった。・・・そういう理解が出てきてしまいます。

聖書は 創世記冒頭の数章の聖句に関するだけで、このようにいろんな解釈が出来ます。

 面白い本ですね。

 ~~~人間道具説から考える。
     これくらいにしておきましょうか。
    
 

コメント
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