鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

これほど人間を愛するのも・・・

2005年10月13日 | 「考える宗教」へ
                  


 悪魔のしわざを滅ぼすという仕事のために、人間をつみびとになって苦しむように創るしかなかった~~~この論理は、イエスの人間に対する、異例な愛情をも説明します。それがあると、イエスが人間に深い「あわれみ」を何度も抱いていることの筋が通ってくるのです。

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 新約聖書では、イエスが人間に哀れみを抱いたという記述が何度も出てきます。病にあって苦しんでいるのを哀れむ、娘が死んで嘆く母親をみて哀れむ。そうして、癒したり生き返らせたりしていますが、とにかくよく哀れんでいるのです。

 だけど、もしも理由もなく、人間をつみびととなるように創ったのなら、そうして、肉体が病にもなり、死ぬようにも創ったのなら、哀れむのはおかしいんじゃないでしょうか。

自分で(理由もなく)そうしておいて、なんで哀れんでいるの?
哀れむんなら、人間をそんな風に創るな、ってんだ!

 自分のプレジャー(楽しみ)のために人間を創ったなんていうのは、そんなのは理由になりませんよ。
 前回の、幼い女の子のように「カミサマずるーい。遊んでる・・・」ということにしかなりませんよ。

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ところが、もしも、悪魔のしわざを滅ぼすという仕事のために人間をそういう風に創るしかなかった、というならば、話は違ってくるんですね。人間が苦しむ姿を見て、イエスが深くあわれむのが、筋の通る話になるのです。

 そういう風にしか創れなかった。その結果、苦しむ姿を実際に目の前にする。そうしたら、あわれに思い、いとおしく思うでしょう。

 人間の世界にも、複数の子どもが生まれ、その内の一人が病弱に生まれつくケースがあります。親は、その子が痛み苦しむ姿を常時見ることになります。そうしたら、とりわけその子がいとおしくならないでしょうか。

 その子を他の健康な子よりも多く愛するようになるでしょう。差別といわれようが何であろうが、その子をより深く愛するでしょう。

 自分がそういう風に産んだのですから。
 そういうリスクがありながら、子どもが欲しいと思って産んだのは自分なんですから。

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 聖書では、イエスは異例に人間を愛しています。
 動物は愛していない。
イエスが、犬や猫をいやしたなんて、聖書で読んだことない。
 天使も人間と比べたら、愛されていないと言っていいくらいです。

 どうしてそんなに人間だけを愛するのか。
あわれみ、いとおしむのか。

 その理由が、イエスがどうしてもしなければならなかった仕事にあるのなら、ある程度の納得が可能になるのではないでしょうか。そのために人間を苦しむ存在に創らざるを得なかったというのなら・・・。

 それを、for His pleasure (自分の楽しみのために)とだけしか説明できないのでしたら、聖書のストーリーが基本的に軽くおかしいものになってしまうのではないでしょうか。

いやぁ~、聖書ってホ~ントに面白いですね・・・。

コメント
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