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リハビリ登山再開にあたって

「あやまちのない人生というやつは味気ないものです、心になんの傷ももたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗をくり返したりするのが自然です、そうして人間らしく成長するのでしょうが、しなくて済むあやまち、取返しのつかないあやまちは避けるほうがいい」

「橋の下」  山本周五郎著
『小説新潮  昭和32年1月号』
『日日平安』 新潮文庫 や-2-9


平成19年5月3日の自転車で転倒事故をおこし 骨折して しばらく 山行ができなかったが 2ヶ月の充電期間を経て やっとリハビリ登山を再開することができた。

「山は最良の教師」というが、痛い目にあって また 多くのことを学んだ。

 今度の事故の教訓は 表面的な直接原因よりも その背景で人間を支配した心の動きなど心理的な面に多くの学ぶところがあった。 

え! こんなところで と思うようなところでも 実際 事故は起きるものだった。安全そうな 山歩きも つねに 危険が潜んでいた。もとより 危険の芽となる リスクは どんなところにも潜在的に潜んでいるが、それが実際に事故に結びつくかどうかは 人間が うまく 危険を回避できるかどうかにかかっていた。

急ぎのこころ 焦りのこころ 奢りのこころ があっては 「ものごと」が全く見えなかった。

過去の成功体験に奢り、謙虚さを失い、聞く耳持たぬ傲慢さが支配、自己の過信に陥っていると、危険をあらかじめ察知し、事前に避ける手当はなくなっていた。

今度のことは 嫌というほど 身に沁みた痛い教訓であって 当分忘れないだろう。

ただし リハビリ登山再開に当たって 更に自戒しなければいけないことがある。

人間は 過去の痛い経験にもとずく 知識などが働くからなのだろうか もう二度と同じ過ちはしないと 心に誓うものだ。
だが、のど元過ぎれば 熱さ忘れるとは よくいったもので、はじめは 固く心に誓っていても、やがて 次第にその気持ちも薄らいでくる。

私の 過去の拙い山歴をひもとくと、大小の程度はあっても、痛い目にあったあと、しばらくは 新鮮な気持ちが続く間は、 二度と失敗をおこすまいと思い続けることができる。しかし やがて気持ちも薄らぎ そのうち忘却、元に戻り やがて また痛い目に遭う。この繰り返しのパターンが多い。今度の失敗も のど元過ぎればのとおり やがては 元の木阿弥になるかもしれない。いったい 人間は どれだけ痛い目にあえば 骨身にしみるのだろうかと思ったりする。

今後 この繰り返しのパターンにならないためには 常に こころを穏やかにもち 謙虚さを失わず いることしかない。過去の失敗を生かすことができるかどうかはこうした気持ちを持ち続ける 努力をつねに怠らないことだ。

今後は
あせらず あわてず あなどらず
マイペースで 山行を続けていきたい。


「木漏れ日の山路にも、厳しい雪稜にも、事故は一様に待ちかまえている。」

『山岳遭難の構図』 青山千影 平成19年 東京新聞出版局

「山を続けるかぎり、遭難は宿命の同居人である。その事実から目をそむけずに、地道な努力を重ねることによって、はじめて「してやったり」という遡行が生まれるのである。」

『道なき渓への招待』  高桑信一著 1998年 東京新聞出版局

リハビリ登山再開




コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
うれしい行動再開! (辛夷庵)
2007-07-13 18:28:23
 降り始めたらなかなか止まない今年の梅雨。その中を「リハビリ登山」とは、驚きながら喜んでいます。
また、その登山が、ピーク往復でないところが趣深山さんの真骨頂ですね!
 次第に以前のペースで、山歩きの報告を読ませてもらう楽しみが復活しそうですね。どうか、くれぐれも慎重にリハビリを続けて下さい。
 
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