発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-178
8)ネパールを歩く
日記から-1
ネパールの歩いた道。東から入りポカラから南に下りた。
今日からネパールである。
俺は美しい山が見れるということで、大変期待をして、山の国ネパールに入る。
前回と同じ4月12日 (木曜日) 晴れ
昼、国境に着く。国を超え、すべてが変わるのではないかと思ったが、インド人と同じ顔の人々も多い。
家々の数が少なくなり、家の作りが変わる。それは高床式の家であり、インドの土の家ではない。
インドでは土の家を見ているだけで暑さを感じた。この高床式の家を見ていると涼しさを感じる。
しかし、この辺は歩いていて結構暑い。
前後するが、国境での手続きがやはり時間がかかった。それでも日本人には優しく簡単であった。
通関の時、インドとネパールとも荷物を見なかった。その時は簡単であったが、貨幣を交換したりするのにウロウロしたりで結構疲れた。
この後、チャイを飲みたかったが、国境の近くでは余りにも観光ずれしているのではないかと思い、しばらく歩いてチャイの店に入った。
そこでは人々とすぐに打ち解け、長い間会話をした。結構、ネパール人も英語を話す人がいる。
話をしている内に打ち解けたからかチャイの金を取らずに、奢ってくれた。
ネパールでは顔が似ているからか、俺の気持ちが安定している。腹が立たないのである。
ネパールでもホテルと呼ぶ食堂で昼食を食べ、チャイを飲んだ。
ここの値段が5.75ネパールルピーであり、これはあまりインドの物価とは変わらないのではないかと思った。
このネパールも物価が結構高く、先が思いやられそうである。
靴の中がもう駄目である。昨日、山を降りて来る時に靴に負担をかけすぎたようだ。
その為、中側のいたる所で靴底のゴムの内側が出っ張り、足の裏に大きな負担がかかっている。
だから、水脹れがまた出来始めた。
この靴はダージャリンで一度は靴底と上の部分とを縫い合わせ、修理をしたのだが、この先何処までもつのであろうか?
ネパール第一日目は小さな村のロッジ(宿所)を見つけ泊まることにする。
それは今日が暑い日で、足とかTシャツから久しぶりに塩が吹いて白くなっていたから、この汗を洗い流す為、シャワーを浴びたく、ロッジに泊まったのである。
ここではダブルベッドの部屋だけ空いていて、宿泊料が20ネパールルピーである。
この街の感じはインドとは異なるように思う。
それは何だか、アメリカの田舎の村のように少しの家が固まり、周りには隙間が空いて、だだっ広いのである。
出費 37.25ネパールルピー
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