抜かない歯医者のひとりごと

歯の健康は全身の健康につながる。渋谷で開業中の保存学認定医が、なるべく歯を抜かない治療にまつわるトピックを語ります。

義歯は、要支援。インプラントは、要介護です。

2019-08-04 | 歯科治療

日本は、父性がなくなって、久しいです。

精神的にはもちろん、物理的にも貧しくなって、それが、より、鮮明に、顕著になりました。



ネットの発達とSNSの進歩が、それに拍車をかけました。


まず、(今更なのですが、)

医は仁術であり、算術ではありません。


[医は算術、商売ではないし、商売であってはならないのです。]


ここから、明示されることは、医療はサービス業ではないし、サービス業であってはならない、ということです。


患者も客ではないのです。


【この自覚と認識を、医者も患者さんも、強く持っていないと、悲劇が生じます。】


現に、さまざまなな、悲劇、(喜劇?)、悲喜劇が起きています。


犠牲者は、患者さんはもちろん、真面目な正直な人々。


多くの、(もちろん、私も含めて、)いわゆる、庶民が犠牲者なのです。


現に、多くの犠牲者が出ています。

(報道もされていますが、


不正確なものも、隠蔽されているものもあります。)


《あまり、他人の出口を執拗に塞ぐと、

自分の出口も塞がれ、行き場もなくなり、息苦しくなり、


生き苦しくなり、

必ず、心身共に、衰弱し、窒息死します。


これが、ゲームの法則です。

ゲームと、侮っていけません。


人生は、ゲームです。》


執拗と必要を、履き違えないことです。

塞ぐと防ぐ、も履き違えないことです。


[ゲームに勝つには、〈運・根・鈍=寛容〉もまた、必須、不可欠なのです。]


忘れるのと、ワカラナイのが、人間です。人間の魅力です。それが人間なのです。


[ワカラナイのが値打ちなのです。]


医者と患者では、医学的知識が、圧倒的に違うし、

違うはずだし、

違わなければいけないのです。


では、ここで、改めて、プロとアマチュアの違いを、再考し、見直してみることです。


プロとアマの違いは何か。


それは、

【圧倒的に、明白な、明確に知識と技術(スキル)の差があることです。】


スポーツで云えば、野球でも、サッカーでも、バスケットでも、プロとアマとの差は、全然違います。


ゲームで云えば、囲碁、将棋のプロは、アマとの差は、圧倒的にプロが凄いです。


アマで五段、六段と言っても、プロの世界では初段にもなれないでしょう。


つまり、プロと云われ、金を稼げるようになれるのは、アマとは、圧倒的な、確たる差がなければ、プロとは言えないし、世間も認めません。


例えば、ボウリングなどは、プロとアマ(素人)との差が、先のスポーツやゲームと比べたら、圧倒的ではありません。


だから、ボウリングは、プロになっても、正直、高収入とは言えないし、また、楽しみ人はいると思いますが、


多く観客を集めて、稼ぐというだけの、集客力は望めません。


ボウリングは、まさに、自分たちが楽しむスポーツ、ゲームであって、人に見せる(魅せる)ものではありません。


ゴルフも、プロはだしのアマチュアゴルファーはいますが、


一流のプロゴルファーには、魅せるものがありますし、高収入を得ています。


(私も、実際、若い頃、ゴルフ練習場に通い、友人とゴルフ場に行ったり、泊まり掛けでゴルフを楽しみましたが、一流のプロゴルファーの技術には、それはそれは、目を見張るものがあるものがあります。


芸術の世界で云えば、小説などは、やはり、プロは凄いです。)


私も、一時期、映画評論をしていたし、青臭い小説、詩を出版したので、プロの詩や小説には、敵わないなあと、つくづく身に沁みて思います。

(当然、好き嫌いはありますが、プロの文章は、やはり、アマのものとは、全く違います。)


ただ、ボウリング同様、俳句は、第二芸術と云われるように、

アマチュアとの、圧倒的な、歴然とした差はありません。


テレビでも、俳優やら、芸人やら、アナウンサーやらが、俳句を作り、争っているものがありますが、


俳句は、もともと、言葉遊びだったので、それで稼いで、生活してたというものではありません。

(だからこそですが、素人でも、素晴らしい俳句を作る人が、わりといるものです。)


だから、第二芸術と言われると、怒り、憤慨、反発する人もいますが、


私は、俳句は、永遠に消えることない見事な、第二芸術だと思うし、


大好きな第二芸術ですし、


俳句は多くの人に、今後も、永久に好かれ、親しまれる芸術だと思います。

(短歌なども、同様でしょう。)


話芸でも、落語でも、プロとアマチュアとは、歴然とした差があります。


俳優でも、演劇でも映画でも、演出家でも、映画監督でも、


プロのする演技、
プロの作る作品は、

アマチュア、素人のものとは、まるで違います。


(私の好みで云えば、草野球、素人芝居などは、全く見る気もしません。)


音楽も、然りです。素人のピアノやらバイオリンやら、ナニやら、私には、自己満足にしか思えません。


《ピアノの発表会なんて、本人よりも、親とピアノの先生の自己満足そのものでしょう。》

もちろん、そこから、プロも、また生まれるのでしょうが。


私は、素人の音楽を聞くのは、好きではありません。


私は、素人の芝居を見ても、素人の音楽を聞いても、正直、癒されることも、和むこともありません。感動しません。


心を動かされることは、まず、ありません。


(逆に、もし、私のこころが、動いた時は、その人は、プロになれる可能性は、非常に高いです。

私には、その眼力があります。)


私は、プロフェッショナルを、尊重し、信じ、尊敬します。


その道=その途(みち)で稼ぐというのは、たいへんなことです。


ただ、俳句でも、正岡子規や芭蕉など、名句を続けて作れる人は、プロでしょう。


短歌も、石川啄木や若山牧水は、プロです。


小説だって、芥川賞を取っても、それっきり、という人もいます。


作曲でも作詞でも、たまたま、当たった、良いものができた、というものも、たくさんあります。


《どこの世界でも、どの分野でも、一発屋というのがありますし、一発屋はいますが、…

一発屋は、プロではありません。


一発屋が、プロな訳がありません。

当然です。》


[プロフェッショナルは、続けることができる者を云うのです。

プロは、結果ではない、というより、結果では、プロにはなれないのです。


プロは、プロセス=その過程に、あり、真価があるのです。

結果オーライでは、プロには、絶対になれないのです。]


医者は、プロです。患者=素人とは、圧倒的な差があるものなのです。

差があって然るべきものなのです。


医業はサービス業ではないし、

サービス業であってはならないのです。


患者さんも、客ではありません。


〈患者を、患者様などと呼ぶのは、愚の骨頂です。

患者さん、と呼ぶのが本道です。


患者様などと呼ぶのは、

私には、逆に上から目線だと思えるし、慇懃無礼に思えます。〉


〰➰……

医師であり、作家の夏川草介氏(神様のカルテの作者)も、言っています。


「私が言ったのではないのですが、

名医は、いい続けています。


医者はサービス業だなんて思ったら、大切なことを見失う。


医者は努力が報われる仕事ではないけれど、

誰かの役に立ちたいという前向きな姿勢を失わない、


プロとは、そういうものなんです。


プロとは、特別の仕事をしているというプライド持つこと。


その自覚とプライド持っているものをプロフェッショナルというのです。」


医師であり、神様のカルテの作者である、

夏川草介氏は、そう断言してます。


【その仕事に・自分の仕事に・自分に・使命感を持っているものを、プロフェッショナルというのです。】


父性喪失の時代と言いました。


今、医者は、はっきり、患者に指示、指導しなくなりました。


「こうした方が早く治りますよ。」
と、最善の治療方を、指示しなくなっているのです。


《幾つかの、治療方を提示し、そこから、患者さんに選ばせるのです。》


もちろん、説明、インフォームドコンセプトは、大切です。


しかし、実態は、医者の保身です。


(医者自身の性格、気質もありますが、名医でも、そうした傾向が増えています。)


最善、最良の治療を、はっきり、言わないのです。


入院して、1週間位で、完治するのに、患者さんが、

「入院したくない。」というと、

だらだらと、通院させます。

薬と検査で、引きずります。


で、病気が、悪化しても、患者が選んだことだと、責任逃れをするのです。


何故か?患者さんもいけないのです。

思い通り治らないと、ちょっとしたことでも、絡む、クレームをつけるからです。


中には、弁護士を連れてきて、治療に、クレームを、すぐにつけて、絡む患者も、少なからず、いるのです。


すると、医者は、最善の治療を、強く指示するより、ひたすら、保身に走ります。


事実、この弊害が、医療費を増やし、結果、入院を長引かせている等、医者の間、個人的にも、病院、厚生省でも、かなりの課題になっているのです。


統計的には、男の医者のが、保身に走り、患者さんを引きずり、完治まで、時間がかかるそうです。


女医の方が、患者さんに、はっきり、指示し、完治も、結果、医療費も少なく、より良く治すそうです。


【女医さんの方が、はっきり、患者に、最善、最良の治療進めるという、データーが出ているのです。】


医者も、治療に専念したくても、絡まれるより、殺さない範囲で、引きずりのです。


結果、患者さんは、治るまで、時間も、治療費もかさむのです。


これ、実際、深刻な弊害として、問題になっているのです。


医者はプロ、患者さんとは、(いい意味で、)圧倒的な差があるわけです。


患者さんを救いたいのなら、使命感と、誇りを持って、最良、最善の治療を指示するべきなのです。


国家は国民の父、父は、家族=国民を守るのが本道です。

それが、すぐに、自己責任です。


これでは、愛国心も薄れるし、保守革新も、右も左もありません。


命を預かる医者にして、この様(ザマ)です。


歯医者は最低です。


引きずろうが、何をしようが、だらだら、ダラダラ、だらだら、だらしなく、適当にやってれば、いいのです。


認知症なったら、インプラントはどうするのでしょう。


義歯なら、何とかなります。

家族でも介護の人でも。


口のなかが、インプラントで、めちゃくちゃになっても、傷ついても、関係ないか?


本人は、ボケて、分かってないのだから。

(知ったことじゃないか?早く死んでくれていいか?)


固く埋め込まれたインプラントを取る手術は、たいへんです。

まあ、インプラントを削って、傷つかないようにして、義歯を作るか、そのままか?


敢えて、言います、大金を使って、命を縮めているのだから、それも、自己責任?ですか?


騙される方も、バカで、悪いですか?


私は、改めて、思います。


余った歯医者を、叩き直して、看護士、介護士として、働いてもらうことです。


看護師、看護士は、たいへんな仕事です。頭が下がります。


私は、直接、その現場も見ています。

介護の仕事も同様です。


無用な衛生士に、無駄な税金を使わず、給料、というより、衛生士というものは、なくし、

今いる衛生士も、余った歯医者同様、徹底して、教育しなおして、看護、介護の仕事をさせるべきです。


衛生士など、さっさとなくし、そのぶん、看護士、介護従事者の待遇を改善し、金もそっちに回すことです。


以前、社会学者は、こう教え、教わってきました。


私も、東大の教授から、教わりました。

「人間には、意志レベルと、感情レベルがあり、

意志レベルの方が、感情レベルより上にあるんだ。


だから、意志で、感情は支配できる。

理性が大切だ。」

と。

私は、この教えには、違和感がありました。


幸い?私の違和感は間違っていませんでした。


最新の脳科学の研究では、感情レベルが、人間の意志の上にあるのが、分かってきたのです。


感情を支配してるのは、意志ではないのです。


感情が頂点なのです。

意志をあやつり、操作し、意志を支配しているのは、感情なのです。


医者も人間です。絡んでくる人を、より良く治そうとは思いません。


もちろん、感情が支配します。

相性、好き嫌いは、当然あります。


しかし、人間、嫌いな人には、なかなか、親身にはなれません。


もちろん、仕事は仕事、プロは使命感を持っていなければなりません。


しかし、人間である限り、感情が支配するのです。

【しかしてまた、感情が支配するからこそ、損得など、関係なく、親身に、その為に、専念するのです。


患者の為に、人の役に立つ為に。】


自分との戦いというのは、感情との戦いです。


ネット、SNSの匿名性の、無政府、無責任も、ますます、医者や、プロの使命感を、そいでいるのです。


格差、政府の父性のなさが、すべてとは、云いませんが、閉塞感、弱い者いじめが、横行しているのも、この父性喪失のせいでしょう。


歯医者に至っては、云わずもがなです。


[今、歯科の、歯医者の喫緊の、かつ、今後、永遠に、とも云える、課題、取り組まなくてはいけないことは、〈噛みしめ〉、〈食い縛り・クイシバリ〉の問題です。]


《インプラントは、どこまでも、食いしばれます。

(顎の限界まで。)


自分の歯は、60㎏を越えると、もう、それ以上、噛み込むな、と、指示します。》


不適切なインプラントの怖さ(壊さ)を、患者さんは知りません。


しかし、私は、あえて言います。

《歯医者は、実は、もっと知りません。その怖さ(壊さ)を分かってないのです。》


おぞましいことです。


[金儲けと隠蔽に、奔走しているのです。


インプラントは、入れ歯の一環です。


テレビ、ラジオでインプラントの宣伝しているのは、インプラント後遺症の隠蔽工作以外、なにものでもないのです。]

おぞましいことです。


私の拙著、

【この歯医者がヤバい・幻冬舎新書】

【やってはいけない歯の治療・KADOKAWA】


改めて、よろしくお願いいたします。


電子書籍でも、好評です。


さて、この度、新刊の企画が決まり、

来年、2020年(令和2年)の、良い歯の日=4月18日発売の予定です。


KKベストセラーズからの出版です。


毎日新聞、サンデー毎日、等々の記事、及び、ネットも加わり、それらが、医者からも、評価されてのことです。


改めて、歯科の初心に還り、

初心を忘れず、初心をはずさず。


で、私のような凡人は、一生懸命やらないと、駄目なのです。


一生懸命です。

一生懸命、初心を見直します。


改めて、

見直し、踏みなおして行きます。

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