高値で取引されているSL(蒸気機関車)のナンバープレート(銘板)。(物によっては100数十万円)
当時、本当に使用(本物)されていたものなのか、はたまた後年レプリカ品として製造されたものなのか
難しいところがございます。現存(静態、動態保存)するSLのナンバープレートであれば先ずレプリカ品とされ
後は、一般的には先ず「砲金製(ガンメタル)」なのかでも選別されるところ。
俗に言う磁石に反応する磁性を持たないものであれば砲金製と判断される。
そして、文字のフォントや文字間隔の種類も色々あり、記録に残る当時の写真と擦り合せて判別する必要がある。
しかし、戦時中の物資不足の折には木製のナンバープレートすら有ったとされ戦後、新たに砲金製に
作り直されたという話も耳にするくらいナンバープレートには数多くの逸話が存在する。
ここに「C61型蒸気機関車」のトップナンバーである「C61 1」のナンバープレートがございます。
「C61」については戦後、未だGHQの監視下の厳しい時代に「D51型蒸気機関車」を改造し新規旅客用機関車として
1948~1949年の僅か1年間で33機しか製造されず現在、保存現存数僅か3機というSL。
このプレートをよくよく観察しますと僅かに磁性を持つ「鋳鉄」と判断し砲金ではないことが判明。
しかし、よくよく時代考察すると戦後間もない、終戦年の1945年から1952年まで続く連合国軍による
占領下で、砲金の原料となる「銅」や「錫」を自由に使えたかどうかは疑問が残るところ。
下の写真は未だ解体される前の「C611」。(1996年頃まで旧東北鉄道学園に保存されていたが解体)
文字のフォントは同じようにも観え、文字間隔(余白を含め)も合致しているように感じる。
そして何より、プレートを固定するボルト穴4ケ所の内、左下(Cの下)の1ケ所のみが枠に食い込んでいるのが共通する。
因みに取り付け穴の形状はテーパーではなく当時、よく使われた段付きの2段穴の形状。
果たして、このプレートの「真贋」の程は不明ですが、希少である「C61」であることと、それに記念すべき
トップナンバー「1」であることを考え、今後は保管してゆくことにする。
(追記:解体前に実物から型をとり、鋳造した記念品である疑いも残る・・・。)
「C61 1」ナンバープレート・485mm×195mm×13mm 重さ6.5kg: 非売保管品
先月北海道新幹線が華々しく開通しましたが、
そのために、青函トンネル開通当初から頑張ってきた列車たちが次々と廃止になりました
特に寝台客車を牽引していた機関車たちは、二度と次の仕事に就く事がないことから、あっという間に解体されてしまいました
時代の推移ですから仕方ありませんが、たまたま乗った列車の窓から、ナンバープレートを外され、白票を差し込まれている機関車の姿を見かけた時は、悲しくて、人前だったので涙をグッとこらえました
前置きが長くなりましたが、鉄道物はレプリカを本物と称して高価で売っている業者も多々あるようです
また、土花亭さまがおっしゃるように、目利きの方でも判らない事も事実です
私も、上述した機関車たちのプレートがほしいですが、おそらく不可能でしょう
レプリカでもよいので、レプリカとして納得できる価格なら購入するかもしれません
真贋の事実は抜きにして、ご自分のポリシーを大切にされていらっしゃいますね
心から拍手を贈ります
確かに北海道新幹線開通のあおりを受け、地元でも「トワイライトエクスプレス」もなくなりました。
とうとう、一度も乗ることが出来ず残念な思いもしてます・・・。
実は遠い昔、蒸気を追っかけていた時期がありました。
今から40数年前の中学生の頃、子供がおこずかいで行ける範囲といえば
しれてますが、写真を撮りまくってました。
「撮り鉄」とかいうマナーもへったくれもない今の時代とは違い、それないりの
暗黙の了解がある時代で、現場でもめることは先ずなく
鉄道の関係者の方も温かく接して頂いた時代です。
正直、今の鉄道ブームは異常にすら感じることもございます。
鉄道グッズにしても、あまりの高騰さにビックリもしてます。
今の時代、レプリカを作ろうと思えば簡単に作れてしまう時代
確かな観る目も必要なのですが、この手のプレートものに限っては
あまり手を出すことはお勧めできません。
悲しいことですが・・・。