D51 943号機(こちらです)を見て来てから、
はや2週間が経とうとしています(汗)
943号機の隣にチラリと写っていた旧客も
早くご紹介しなくては!と思ってはいたものの・・
なんやかやで、本日の投稿となってしまいました。
さてさて、その正体とは・・
オハ35 441でした。
銘板によると、1941年の日本車輌製。
1954年に長野工場で更新修繕を受け、
最期は亀山で廃車となったようです。
現在は『でごいち文庫』という名の図書館になっています。
貫通路の時計が目を惹きます^^
冬枯れの風景の中、これまた枯れた感じのオハ35が佇んでいました。
D51 943号機は北海道一筋だったようなので、
両車は此処へ来て初めて顔を合わせたのでしょうね。
こちらは屋根がないのが気がかりですが・・
いまや貴重なオハ35の保存車!
D51 943号機同様、いつまでも大事にされる事を
願ってやみません。
2015年2月6日、入山瀬公園にて。
はや2週間が経とうとしています(汗)
943号機の隣にチラリと写っていた旧客も
早くご紹介しなくては!と思ってはいたものの・・
なんやかやで、本日の投稿となってしまいました。
さてさて、その正体とは・・
オハ35 441でした。
銘板によると、1941年の日本車輌製。
1954年に長野工場で更新修繕を受け、
最期は亀山で廃車となったようです。
現在は『でごいち文庫』という名の図書館になっています。
貫通路の時計が目を惹きます^^
冬枯れの風景の中、これまた枯れた感じのオハ35が佇んでいました。
D51 943号機は北海道一筋だったようなので、
両車は此処へ来て初めて顔を合わせたのでしょうね。
こちらは屋根がないのが気がかりですが・・
いまや貴重なオハ35の保存車!
D51 943号機同様、いつまでも大事にされる事を
願ってやみません。
2015年2月6日、入山瀬公園にて。
此処は陽当たりも良いので、自分などは本を読んでいるうちに
居眠りしてしまいそうです^^;
入山瀬は土地柄なのでしょうか、どちらの車両も手が入れられている事が
感じられ、とても好感が持てました♪
”正体”が明かされましたね(笑
車内がどうなっているか判りませんが、少しでもボックス席が
残っていたら「阿房列車」か宮脇俊三氏のエッセイでも読みたく
なりそうです(^^;)冬枯れの影が客車に絡む図がいい感じですね。
足回りがきっちりと整備されているように見え、車体はくすんでいるとは言え大切にされている雰囲気が伝わってきます^^