八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

瀬戸内 高原水軍

2009-07-07 23:58:00 | シーパラダイス

 

本日は!

高原次利 の話。

 

高原氏 のルーツをさぐると

瀬戸内海の 直島 にたどり着く。

 

 

平安末期、

保元の乱 で敗れた 崇徳上皇 が

讃岐に流される途中 直島 に逗留した折

世話をしたのが 高原氏 と伝えられる。

 

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その 高原氏 の

中興の祖が 高原次利 である。

 

戦国末期、

海賊(水軍)の将 高原次利 は

直島の八幡山に城を築き、

神社や寺院、城下町本村を整備する。

 

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高原次利 は 豊臣秀吉 に仕え

備中高松城水攻めの際には

秀吉 の水先案内として活躍し、

  

四国、九州、朝鮮への出兵の際には

海上輸送を担った。

 

 

関が原の戦いでは、東軍に見方し

以後、 寄合旗本 に加えられ

直島 の統治を任される。

 

 

江戸時代、

高原氏 による 直島 の統治は

90年間続いたが、6代目に改易となり

高原氏 の家系は絶える。

 

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そんな、

高原次利 のことを考えながら・・・・

 

勝丸 で 海賊ごっこ をするのは楽しかった。

 

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こんな私にも、少しくらい

海賊の血 が流れているのだろうか?

 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
実は私も高原と申します。私も直島高原水軍に何ら... (高原勝也)
2010-12-23 16:47:14
実は私も高原と申します。私も直島高原水軍に何らかの関わりがあるのではないかと思っています。というのも、私の先祖は岡山市の邑久郷に位牌墓があります。ちょうど高原6代が改易になった頃からの古いものです。一説によると、高原水軍の末裔が邑久郷のとなり宿毛のあたりに上陸しお百姓になったのではないかと言われています。そのあたりは宇喜多家の勢力もあり、お百姓同士でも高原家はちょっと違う人種のように言われていたそうです。この邑久郷の高原家は水軍の末裔の可能性はあると思われますか?
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邑久郷、それはそれは興味深い。 (takahara)
2010-12-24 01:32:00
邑久郷、それはそれは興味深い。

昔、邑久郷宿毛のあたりまで海ですから、
船を隠す(避難させる)入り江としては絶好の場所だったと
思います。

かつての広い児島湾、吉備の穴海は高原水軍の庭のような
海だったのではないでしょうか。

ちなみに、私の先祖をたどると、江戸時代末期に郡に住んでいた
畳職人の高原氏だそうです。

直島高原氏については、直島在住の高橋昭典さんが詳しく、
冊子にまとめられている聞きました。

全国の高原さんが、直島高原氏の墓前に集まる企画なんかが
あれば楽しいかもしれません。
 
 
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