本日は!
高原次利 の話。
高原氏 のルーツをさぐると
瀬戸内海の 直島 にたどり着く。
平安末期、
保元の乱 で敗れた 崇徳上皇 が
讃岐に流される途中 直島 に逗留した折
世話をしたのが 高原氏 と伝えられる。
その 高原氏 の
中興の祖が 高原次利 である。
戦国末期、
海賊(水軍)の将 高原次利 は
直島の八幡山に城を築き、
神社や寺院、城下町本村を整備する。
高原次利 は 豊臣秀吉 に仕え
備中高松城水攻めの際には
秀吉 の水先案内として活躍し、
四国、九州、朝鮮への出兵の際には
海上輸送を担った。
関が原の戦いでは、東軍に見方し
以後、 寄合旗本 に加えられ
直島 の統治を任される。
江戸時代、
高原氏 による 直島 の統治は
90年間続いたが、6代目に改易となり
高原氏 の家系は絶える。
そんな、
高原次利 のことを考えながら・・・・
勝丸 で 海賊ごっこ をするのは楽しかった。
こんな私にも、少しくらい
海賊の血 が流れているのだろうか?
昔、邑久郷宿毛のあたりまで海ですから、
船を隠す(避難させる)入り江としては絶好の場所だったと
思います。
かつての広い児島湾、吉備の穴海は高原水軍の庭のような
海だったのではないでしょうか。
ちなみに、私の先祖をたどると、江戸時代末期に郡に住んでいた
畳職人の高原氏だそうです。
直島高原氏については、直島在住の高橋昭典さんが詳しく、
冊子にまとめられている聞きました。
全国の高原さんが、直島高原氏の墓前に集まる企画なんかが
あれば楽しいかもしれません。