マンゴーしいたけのつぶやき

いわゆる団塊の世代です。40年余の東京暮らしを経て、生まれた古里で織りなす珍道中の「つぶやき」になりそうです。

「マンゴーしいたけ」なるもの

2011年06月06日 22時43分46秒 | 日記
午前中は敷地の竹林のタケノコを義姉の家に届けながら寺で法要。
熱心な檀家でもなく、ましてや氏子でも羊でもなく宙ぶらりんの宗教観のまま。
したがって住職の話も馬の耳に念仏。罰があたるか?

夜は久しぶりのコンサート。クラッシックです。
今夜のコンサートは、妻がスタッフで関わっているので渡世上の義理もあり。
YouTubeで聞く70年代のフォークや学園ソング、艶歌が至福の時ではありますが、
次女がバイオリンを生業にしていることもあり、時たま足を運んでいます。
クラシックは子守唄にはちょうど良く、しっかりと聞いたのはアンコールで
演奏されたチャールダーシュという好きな曲だけでした。
この不純さにクラシックファンからは疎外されそうですが。

さて「マンゴーしいたけ」の由来です。
マンゴーの味もしくは匂いのする椎茸の栽培に成功したら面白いのにな
といった田舎暮らしの独り言(つぶやき)にすぎません。
近くのマンゴー農家の見学に行ったきり、何も進展してはいません。
進展はしないでしょうけど、「どげんかせんといかん」との思いです。
何故なら・・・
東京から宮崎への移住があまりにも急な決断だったということがあります。
そのために職場の同僚や、地域の仲間に照れ隠しに大ボラを吹いてきたのであります。
「マンゴーかマンゴー椎茸ができたら送るから」と。

特に住んでいた団地は高齢者の割合が高く、高齢者のふれあいの場としての
『お食事とおしゃべり会』を月に一度、16年続けていました。参加者は平均で90名。
立ち上げ時より司会進行役をやっており、その席上でプレゼントの話をしました。
また12年前よりお互いが支えあう、気にかけあう『たすけあいの会』の活動も
続けていました。
ゴミだし、掃除、買い物、病院や役所への付き添い、話し相手など年間500をこす
依頼件数をボランティアのみんなでこなしてきました。
そのスタッフたちにも約束して宮崎にきました。
こちらでも最終目標は「地域福祉」の創出ですが、それにしても「マンゴーしいたけ」の
つぶやきは考えると深刻です。


コメント
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