マンゴーしいたけのつぶやき

いわゆる団塊の世代です。40年余の東京暮らしを経て、生まれた古里で織りなす珍道中の「つぶやき」になりそうです。

火の国熊本♪おもいで宝箱♫ 益城の歌声喫茶より

2020年06月28日 13時50分30秒 | 日記

昨日の大雨で敷地を横切る小川が溢れ 倉庫の浸水が始まり慌てました

台風シーズンになると時に起きる現象です 団地生活では無縁でしたが

何も足さず何も引かずを守りながらのブログにこの一週間656の「訪問」を頂きました 毎日が日曜日のスローライフの身には大きな励みです ありがとうございました 通過点の1000回も見えてきました 少しでも記憶に残るものを綴っていけたらなと思っております これからもどうか宜しくお願い致します

さて今日は「益城の歌声喫茶」を振り返りながら ご当地ソングの ♫おもいで宝箱 の動画です 

  • あの日の空を 覚えてる
  • 見果てぬ夢の さみしさを
  • はげますような 阿蘇の山
  • おーい おーいと呼んでみよう
  • 忘れられない想い出が ふり向くよ
  • おーい おーいと呼んでみよう
  • ここは火の国 ぬくもり宝箱

あの忌まわしい「熊本地震」から4年が過ぎました

その年の10月が最初の「益城の歌声喫茶」でした

果たして受け入れてもらえるのかという不安の中で

 

 

その二年前 私たちは天草でイルカたちと遊んでいました

その熊本で「歌声喫茶」やることになるなんて 人生まさかの連続です

歌の二番が ♪天草の海 日が暮れて・・・と続きます

仮設団地からの転居が終了し 落ち着いたら又「歌声喫茶」をと約束しています 本来ならその日程の相談ができる頃ですが 機が熟さないです 今は夜明け前だと思って粘り強く待ちましょうか

 

では今日もどちら様もお気を付けてお過ごしください。

 

 

 

 

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「あっ あの人❢❢」その3  ♫美しい十代は「一夜の歌声喫茶」より

2020年06月26日 14時04分04秒 | 日記

シリーズ「あっ あの人❢❢」 1993年~1996年

自治会の長として初めに取り組んだのが【バス停の置き傘】93年

外周3キロの団地なので バスを降りたら「あっ雨」の場合に備えて

そして次に【子ども広場のフェンス張り】93年

ピンキーズの練習場でもありました

1994年 「団地の汚水場跡地の有効利用」の活動

1994年「盆踊り大会」にて

1993年「親子まつり」にて

1995年「運動会」にて

1996年「新年もちつき大会」にて

1995年 「代議員大会」にて

 

 

動画は「一夜の歌声喫茶」より ♫美しい十代 です

私の頃は都城市には 農業・工業・商業高校とここ(写真)しか高校はなく いずれも県立のみ

多分定員割れで滑り込みセーフだった私 この当時は普通科家政科の10クラス かの東国原英夫もここの卒業生 作詞・作曲家の中山大三郎も

最初から追試追試でついたあだ名が「赤点の松下」 このことが私の「滑り込みセーフ」を物語ります

3年間で卒業できたのも今考えると「お情け」そんな落第生にも恋心は一丁前に芽生えることになります

校舎の左側にある図書館前で開かれていた土曜日放課後の自由参加のフォークダンス

下級生のユ〇〇さんに会えるかな 同級生のマ〇〇さんも来てるかな そんなことを思いながらの時間が都城泉ヶ丘高校での一番の楽しみ

振り返ると淡い恋を夢想したあの瞬間こそが 私にとっての♫美しい十代だったような

今もフォークダンスやっているのやら(校舎はホームページより)

一方 カミさんにとって ♫美しい十代 とは?

大学の頃の文通で人生を綴り語ったあのあたり? ではないよなぁ

こんなパフォーマンスの運命共同体になるなんて 人生面白いです

(左:次女 右:長女)

 

後記

「女帝 小池百合子」を読んでいます

日本の政治家を扱った本では「田中角栄研究 全記録」以来の読み応え

こういう方は胃潰瘍などとは無縁なのでしょうね

私達は私達なりに 余計な事を考え過ぎないように暮らしましょうか

ではまた お気を付けて

 

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琴衛会の『平尾昌晃メドレー』&「あっ あの人❢❢」

2020年06月23日 17時17分00秒 | 日記

今日は衛藤先生率いる「琴衛会」の演奏をお楽しみください

曲は ♫星は何でも知っている ♫霧の摩周湖 ♫うそ  

旧知の平尾昌晃に敬意を表してということでした

コンサートもされているプロ集団です

会場は熊本県「益城の歌声喫茶」

写真は衛藤先生 ではどうぞ❢

 

 

「あっ あの人❢❢」はシリーズ第二弾になります

以前住んでいた団地の友人・知人向けです ごめんなさい🙇

💛「お食事とおしゃべり会」会場設営後一服

💛団地の風物詩 桜祭り会場で

💛野球試合の後でいつもの打ち上げ?

💛緊張のホイッスル前 ピンキーズ優勝

💛ピンキーズの優しきお母様たち

💛親子試合もよく行いました

💛神奈川県寄にて キャンプ

💛団地の夏祭り 「遊鼓人」のメンバー

💛「遊鼓人」のイケメンたち 今はイクメン?

💛「遊鼓人」を率いる我がカミさん

💛自治会前会長と小生

では今日も明日も最大限注意を払ってすごしましょうか。

お気を付けて。

 

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今回は『思い出のスカイライン』

2020年06月21日 11時17分32秒 | 日記

1962年の♫思い出のスカイライン

宮崎県えびの高原を彷彿させる名曲です

前回紹介の♪青い山脈から12年後に発表 服部良一作曲

丁度 熊本より「琴衛会」の講師の方々が西都に来て下さった時

『益城の歌声喫茶』でも大変お世話になりました

あらためまして感謝を申し上げます

主宰の衛藤先生は九州作詞作曲家協議会の会長でもあり

平尾昌晃と旧知の仲 原田悠里に楽曲も提供されている作曲家です

ではその♫思い出のスカイラインをどうぞ

山の写真は歌にある霧島連山 (ネットより転載)

高3の時 級友たちと登山したのも半世紀も前のこと

高千穂の頂にて 右端が小生

*高千穂の峰の標高は1573m

なお「益城の歌声喫茶」では♫おもいで宝箱をよく合唱

阿蘇山や熊本城に行きたくなるご当地ソングです

よかったらYouTubeでどうぞ

島津亜矢の歌です

 

《自粛》から《自衛》へと都知事

住んでいた町田市の団地の【お食事とおしゃべり会】

25年の歴史に一旦 終止符を打ったと「総料理長」よりTEL

1970年代団地のパイオニア的な活動 本当にご苦労様でした

1995年2月第一回 【お食事とおしゃべり会】の様子

最初から「総料理長」の阿部さん(左) 司会の小生

 

3密を避けての自衛活動 ホントに難問ですね

【一夜の歌声喫茶】もそうです

万が一のことが起きたらと思うと 開催は?です。

では今日も気を付けて過ごしましょうか。

 

 

 

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私の『青い山脈』

2020年06月15日 19時19分20秒 | 日記

『青い山脈』の歌を覚えたのは中学生のころ

写真のような山あり谷ありの砂利道を自転車で帰りながら

同級生のユキオ君に教わった歌のひとつ

街灯もない通学路を今日(15日)計ったら 片道4,8キロ

冬の帰りは真っ暗だったですね

でも夏の帰りは 途中の川で水浴びなんかして遊んだもの

畑のスイカやキュウリをみんなで失敬して川で冷やし食しながら

男子も女子も下着姿で 古き良き?時代でした

学校にプールもなく 海に行く術もない「へき地」住まいには

また吹奏楽しながらソフト部監督の手伝いをしたのも良き思い出

進学のための特別な授業も塾もなかった田舎ですから

「金のたまご」といわれ日本の高度成長を下支えしてきた世代

3年生になっても 思いきり部活楽しめました

同級生のヤスオ君と結婚した音楽のカズコ先生 会ってみたいですね

ソフト部の1つ下のフジコさん 今日家の前を通りました

 宮崎交通に就職し バスガール姿が似合っていた2つ下のヨウコさん

偶然にバスで出会い 切符を切る真似してサービスしてくれったっけ

校舎を眺めていたら 懐かしい人の顔が次々に浮かんできました

 

写真の上が高城町立有水中学校(当時は木造の校舎) *現在は合併があり都城市立です 

下が一時は縫製の工場でしたが 今は廃屋の感じの高城町立有水小学校田辺分校

分校は複式学級で同級生(6年生当時)は10人だったかな

カズミ君 トシミ君 イツコさん キヌコさん ヒロコさん

この辺りだったか家はと 何しろ50年以上も会ってないので

次回はドアをノックして消息を訪ねてみたいと思っています

会えていないのは 父親が教員で転々としていたことや 18才で上京し そこでの暮らしが長かったことがあります

山道谷道に防犯灯もない往復9,6キロの通学路

 

下の『青い山脈』写真3枚はネットより転載 

 

今日の動画はその♫青い山脈 昭和24年 服部良一作曲

六甲の山脈を車窓より眺めながら曲想が湧いたといわれる作品

しばらくして 宮崎えびの高原舞台の♪思い出のスカイラインを作曲

1970代の新婚さんたちの懐かしい思い出の曲でもあります

動画の「一夜の歌声喫茶」の参加者も それぞれの思いを胸に熱唱

 

 

今日は嬉しい年金支給日でありますね

70才75才支給になったら やはり不安ですよね

小生 孫守り・家守にも慣れてきました

では どちら様もお気を付けてお過ごしください。

*ついでの話

分校の6年生の時 担任はなんと父親

今でもこんな事あるのでしょうか

未だに解せない思い出です。

*追加

どうもそそっかしくてダメです もう一つ

都城に行く途中に野尻湖があります

そこで迎えてくれるのが 写真のカエルの大群

本来は故郷へ帰っておいでの願いを込めた「Uターン蛙」と理解しているのですが あわせて心配のない暮らしに帰りたい願いも追加させたいものです。

 

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