マンゴーしいたけのつぶやき

いわゆる団塊の世代です。40年余の東京暮らしを経て、生まれた古里で織りなす珍道中の「つぶやき」になりそうです。

ひおりんワールド

2020年12月27日 12時00分12秒 | 日記

陽織の七変化 クリスマスバージョン

やはり今年はタンジロウですよね。子供も大人も。

『鬼滅の刃』の炭治郎❢❢

大正時代が背景、「感染」(鬼化)した妹の“ねずこ”を人間に戻し、虐殺された家族の仇を討つために主人公の炭治郎が仲間の剣士たちと手を携えて、異形の鬼たちと死闘を繰り広げる・・・という話(「週刊金曜日」より)

絶望を断ち、希望を繋げー

陽織も、どんな時もそんな発信ができる人間になって欲しいもの

この『鬼滅の刃』の説話構造は「鬼殺隊=医療者、鬼=ウイルス」という図式でまとめると話は簡単なのである。がそれは勘違いなのである。と「週刊金曜日」のライターは続ける・・詳しくは書店でお買い求めて読んでみてください。

 

拙いブログに今日まで203,195の「訪問」をいただきました ご愛顧ありがとうございました 一方 「行くところがある やることがある 気にかける人がいる 気にかけてくれる人がいる」そんな場所のひとつでもあった【一夜の歌声喫茶】は閉店中で 賑やかな和やかな華やいだ情景がお届けできない状態です 

来年こそはと気持ちはスタンバイ状態 今日の動画のように♫いつでも夢を持ち続けて新年を迎えたいと思います そしていつもの【一夜の歌声喫茶】の動画もお届けできたら幸いです

では少し早いですが ご自愛されて 元気でお過ごし下さい。

そして そして 希望の新年でありますように。 

 

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ねずたろう君 結婚す

2020年12月24日 13時29分00秒 | 日記

新進新鋭の作家 第一弾

【ねずちゃんとねずたろうくんのダンスパーティー】

 

爺馬鹿でしょうが感性豊かで文才がある二年生

東京国立市富士見台団地にお住いの多和田さん

理論的にも自治会運動を支えている尊敬するお方

その娘さんが芥川賞作家の多和田葉子さん

そこまではと思いながらも望んでしまいます

この独創性は絵本作家あたりはどうかなと

 

ペットロスもあり筆もなかなかすすみません

加えて感染拡大も多いに気になるところです

お互いに気合を入れて年末年始を過ごしたいものです

どうぞお気を付けてお過ごしください

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天使になったショコラ

2020年12月16日 14時20分01秒 | 日記

天使になったショコラ

昨日 天国に帰っていきました

18年をありがとう ショコラ

楽しかったよ ショコラ

思い出いっぱいだよね ショコラ

お疲れ様 ショコラ

まだまだずっと一緒だよ ショコラ

 

 

 

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“ 希望の光 ”

2020年12月09日 14時55分00秒 | 日記

英国ではワクチン接種がスタートとの報道

「希望の光」だそうですね

勇気をもらえるニュースです

今日の動画は同じ勇気をもらえる歌 花は咲く です

芝桜や向日葵を見ながらホッとする日が近いといいですが

伴奏者(高校生)の清らかな音色も一緒にお楽しみ下さい

 

遥かなる旅路~青春の駅~

神奈川と東京の境に溝の口駅(田園都市線)があります 日雇いバイトで今も友人の三浦さんと知り合った駅 早朝 新宿駅近くの手配師のいる小屋に行き仕事をもらいます 例えば「今日は溝の口駅3人」とか 遅いと仕事にありつけない場合も そこに電車で行き 仕事を終えたら現場の長からハンコを貰って新宿の小屋に帰り「ご苦労さん」で確か1800円の日当 その後 「しょんべん横丁」で安い定食を食べ帰宅 たまにはジャズ喫茶とかクラシック喫茶とか歌声喫茶に寄って遊んだことも そんな思いで深い駅でもありました

仕事は日本通運の貨車の荷役でしたが 時折 引っ越しの助手の指示があるとバンザイでした 大概お昼を挟みます そうすると荷主より弁当が出たり ご祝儀を頂く場合が多かったですから 貨車の荷役は辛い仕事でした それもあってか仕事を終え 職場の風呂に入り 一杯やるか「ちょぼいち」(さいころ博打)やるかという恒例?の時間を過ごす作業員も少なくありませんでした

負けると夕食代わりの沢庵かじってた丸さんは 儲けると「マツ(私)飯行くぞ」と大盤振る舞いで当時珍しかった洋食屋に そんな口も荒いが気も荒い しかし優しくて繊細な無法松みたいな人も多かった記憶です 丸さんの郷里も無法松と一緒の福岡 その洋食屋に次女と行ったのは20数年も後のこと 音大に通うために次女も利用した駅 人生の不思議を感じる思い出の駅です 或る日のこと 娘の演奏を聴くために溝の口駅で降り 演奏会場まで歩いていると そのころが走馬灯のように蘇り 不覚にも目が曇ってしまいまし

今はモダンな駅周辺ですが 当時はこんな感じでした

では今日も明日もお元気で。

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遥かなる旅路~青春の池上線~

2020年12月05日 15時25分00秒 | 日記

宮崎ではニワトリと人のダブルで暗い師走 そんななか当方は 高齢者講習を自動車学校で受けての免許更新が済みました 地方都市の外れに住んでいると 前期高齢者でもクルマはまだ必需品 ゴールドですが あと暫くは安全運転で乗りたいと思っています

さて今回は学生時代 新婚時代を過ごした池上線の振り返り 思い出辿り 「読者さん」に幾らかホッとするブログになれば幸いです なお写真などはネットより拝借しました 当時はカメラも高嶺の花で印画紙での手持ちもありませんので

下は路線図と緑色だった車両と駅風景

 

では蒲田駅より

同郷の先輩は専門学校に 私はバイトに通うための駅でした 前回書いたキャバレーのバイト 支配人がいて黒いスーツのメンバーが数人いて 私達ウエイターがいて 入り口にはドアボーイ そして専属バンドに歌手といった布陣でした 店名は「グランドキャバレーNO1」 一緒にバイトした別の先輩は 神社の跡取りで 神主の勉強で東京の大学に来たという異色の人 メンバーには高倉健みたいな人がいて 張りつめた「社風」だったのを覚えています 100名を超す社交さんには「同伴出勤」する方も多く ドアボーイはやはりベテランでないと務まりません 蒲田駅のイメージ=バイト そんな感じです

石川台駅より大崎広小路駅までの思い出は尽きません

石川台駅・・・長女が生まれて1Kながらも新居を構えた所 トナリの洗足池が庭みたいな公園でしたが 小生 昼と夜の仕事かけ持ちで生活費を稼いでいました その夜の仕事がマイクロ複写 当時のデータの保存の主流が8ミリまたは16ミリのマイクロフイルムでの撮影 ゼロックスも普及していない時代でした 多摩川の巨人のグランドも近く 春先には3人で練習を見に行ったものです 長嶋 定岡のいたころでした

長原駅・・・勤めていた朝日新聞長原専売所があった駅 住まいは先輩と2人で「栗山方」2階六畳間 1階が確か喫茶店 僅かな給料日には1個18円の「江戸っ子ラーメン」を1箱購入 昼食用でした 朝と夕食は新聞店の賄があり助かりました トナリの八百屋でモヤシ買ったり 魚屋で「うちの猫にやるので・・」と魚のあらをタダ同然にもらったりしてラーメンに入れる生活  同居の先輩はパンの耳をよく買ってましたっけ 今でも配達のルートは頭に残っていますが 正月になるとお年玉を頂いた家は忘れられません 集金も当時は現金でしたが 表札の「御手洗さん」を読めなくて往生したこともあります

旗の台駅・・・初めて一人で住んだ「平井方」3畳間  

荏原中延駅・・・ここはオデオン座という映画館があって「人間の条件」なんぞをオールナイト2人で見ていました

戸越銀座駅・・・買い物に便利だったなというイメージです

大崎広小路駅・・・大学(下)のあった駅 駅から正門までの途中に色っぽい専門の映画館がありました 学割でたまに道草をくったもの 今も覚えてる映画の題名に「未亡人下宿 上も貸します 下も貸します」 旗の台駅からの帰りなかなか「平井方」には辿りつけず 駅前の養老の滝ののれんをくぐったものです 多感な年代でした?

思いつくままに記しました まとめきれませんが悪しからず

青春の1ページでした

♫池上線という歌謡曲もありますので よかったらYouTubeで

ではどちら様もお気を付けてお過ごしください 

 

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