1000回目にふさわしいか疑問ながら
今日はかつての職場の「笑い塾」でご機嫌を伺います
個人情報とのバランスが難しいのですが 10分の短編です
普段は合唱も取り入れて1時間30分の持ち時間です
信頼関係を計りながら語りかけた8年間でした
*クレームの多数の場合は削除いたします🙇
1000回目にふさわしいか疑問ながら
今日はかつての職場の「笑い塾」でご機嫌を伺います
個人情報とのバランスが難しいのですが 10分の短編です
普段は合唱も取り入れて1時間30分の持ち時間です
信頼関係を計りながら語りかけた8年間でした
*クレームの多数の場合は削除いたします🙇
社会活動の先輩にしてパートナー 子どもが生まれて「ひまわり幼児教室」「こども文庫」への関りあい 加えて「自治会」「お食事とおしゃべり会」の活動 また並行して「ソフトボールサークル ピンキーズ」と「和太鼓サークル 遊鼓人」の主宰 移住した西都でも「西都市レクリエーション協会」「読み聞かせ」に全力投球 フーテンの寅さん流に言えば 恐れ入り谷の鬼子母神❢ 999回目にして我がパートナーに「ご苦労様」を。
【楽しいを創る・西都レク】の今日の動画も全力投球
また仕事もケア一筋 東京では重度障害の方の施設 高齢者の方の施設 精神障害の方の施設 今は役所(福祉事務所)でアセスメントの作業(障害程度区分の評価に関する)公私ともエネルギッシュな人です。
なおこのブログでupした動画をご覧の方が増えてきました 特に宮崎を舞台にした♫思い出のスカイライン ♫フェニックスハネムーン そして熊本の♫思い出宝箱や 体操編の♫いい湯だな など 一方で拙いブログにも今日現在 トータル閲覧数 412,138 トータル訪問数 192,852 の表示 あわせてお礼を申し上げます ありがとうございます。
大雨で被災された熊本の方々に一日でも早い日常が戻りますように。
では今日も明日気を付けてお過ごしください。
7月23日記
「お食事とおしゃべり会」参加者&スタッフ宛の「誕生日ハガキ」は 今月も投函しました 藤の台と西都を繋ぐ心の糸 当分続けたいと思います
なお今日はカミさんの誕生日でもあります 「誕生日ハガキ」のつもりで「おめでとう!」を記しておきます
前略 誕生日おめでとう 私もあなたのお陰で楽しい人生です 感謝❢ 明日からも健康で人生をエンジョイしましょう かしこ
2018年3月9日に 15分の編集で全国放送された 【高齢者8割・・・都会の限界集落が“ 奇跡の団地 ”と呼ばれるヒミツ】(テレビ朝日 スーパーJチャンネル)より主なところを紹介いたします 動画でという方法も考えたのですが 著作権的にNGのようで パソコンの画面を撮影してですので腕が未熟で写真が良くありません ご勘弁(この方法だといいのかな?グレーゾーン?)
なお下記の活動内容にについては たびたびブログで紹介していますので割愛して 今日は原動力の黒子に徹した方々にピントを合わせ あわせてエールをおくりたいと思います 小生にも「一言二言」と報道局ディレクターより電話があり 声と写真で二回流れております
自分たちが老いてなおこの団地に住み続けるには どんな運動体が必要だろうか? そんな活動を探る部署として「高齢者福祉部」を自治会に立ち上げたのが 介護保険法も施行されてない25年も前 そして先陣を切ったのが『お食事とおしゃべり会』 この指とまれ❢に多くの団地住民が賛同して順調に滑り出します 特に会場として 厨房とホールを貸して頂いた草笛保育園の存在が大きかったです
*下の写真のみなさんは『藤の台花の会』
『お食事とおしゃべり会』の3年後に活動を始めたのが『藤の台たすけあいの会』 中野さんは立ち上げ人の一人でコーディネーター 今日も東奔西走 頭の下がる思い 今でいう生活支援の運動です 中野さんお身体に気を付けて気にかける人のためにもうひと踏ん張りですね
*ヘアカットは営業妨害に当たるかなと議論沸騰でしたが【大ヒット】
新海さんも「ひまわり幼児教室」の先生や「お食事会」のスタッフ 「たすけあいの会」のコーディネーターと熱い気持ちを持ち続けている方 訪問時の笑顔にホッとするのではないのでしょうか 温もりの言葉の持ち主
運動の始まり=すべての活動の原点が『お食事とおしゃべり会』毎月1回開催 取材時は249回目 砂澤事務局長(取材時)も粉骨砕身 労をいとわない人 現在自治会の大黒柱(自治会会長) あまり無理を重ねないで指揮棒を振ってください
時々ブログで「総料理長」として紹介していたのがこの方 阿部さん 最初から最後まで求心力のある「ほがらか姐さん」25年間ご苦労様でした🙇 スタッフお一人おひとりも紹介できたら良いのですが ごめんなさい 皆さま本当にお疲れ様でした coronaがなかったら まだまだ続けられたでしょうにね 苦渋の決断でしたね 阿部さん五十嵐さん *下は おっちょこちょいの場面も映っていた「総料理長」
以上のような運動も加わり熟成されたコミュニティが藤の台団地 【77%が終の棲家として 第二の古里として この団地に住み続けたい】 これが「奇跡の団地」として取材を受けた理由ではなかったのでしょうか。
なお末筆ながら西都に移住するまで18年間 不器用で不出来な自治会の長を支えて頂き 共にこの運動を前進させ“” 喜びも悲しみも幾年月 “”と感動をも共有できたお一人おひとりに心よりお礼を申し上げます 先に鬼籍に入られた同志にも万感の思いで「お世話になりました 有難うございました」。
♫いい湯だな ユニフォームでの体操指導(?)はカミさん
スタッフにとっても嬉しい参加者の声でした こんな喜びを共有できる「一夜の歌声喫茶」は代えがたい幸福の時間です
「暑中見舞」も霞んでしまう日本列島の今年の夏 西都原古墳群の向日葵はいつもの夏 今日の小雨に煙る日曜日 向日葵で思うのは「ひまわり幼児教室」 団地に子どもが一杯だった頃 保育園・幼稚園満杯で いわゆる「待機児童」で溢れていた70年代の団地 ならば自分たち(親)で運営しちゃえと考えたのが「幼稚園類似施設」 本当に馬力があった団塊の世代 娘も親もここで確かに成長しました
では今日も明日に繋げる歩みを進めましょうか
後記
7月10日発行の「週刊 金曜日」より長瀬 海の書評の一部を引きます『人は誰かのために生きるとき、その幸福度が最高に高まる。家族や友だちといった、じぶんの大切な人に捧げる時間は、尊くて、美しい。だから人間は絶えずコミュニティを作り上げるのだし、そこでじぶん以外の他者と積極的に関わろうとする。そして、そうした経験を通じて社会的な存在へと成長していくのだ。』「ハンナのいない10月は」相川英輔=著
前回 長原・旗の台・中延を「心の駅」と記しました
「一浪」という世間受けする天下の素浪人になったのが18才 この頃は 大きな夢もなく 小さな夢(目標)がアパート住まい 早く家を出て一人住まいしたかったということが理由であります
上京し最初が新聞販売店の2階に住み込み 4畳半の2段ベッド やがて先輩と二人で6畳住まい 住所は〇〇方 長原駅前(学業が主で新聞配達の身では 経済的にこれが精いっぱい)
やっと一人で住めたのは3畳間 〇〇方 旗の台近辺 そして念願のアパート住まいが中延駅近くの〇〇荘 といっても借主はカミさん 勝手に転がり込んだだけ あれからずっと未だに帰らないのよと言われたりして(実家は売って 今は他人が住んで帰るところがありましぇん❢)
やがて長女が誕生して田園都市線奥沢駅近くのアパートへ引っ越し そして高嶺の花といわれた公団住宅の抽選に当たり藤の台団地に転居して小さな夢は完結 ここで団地野球部に加入して大きな夢の扉に遭遇 部員として運動会を手伝ううち自治会役員に口説かれたのがチャレンジャーとしての始まりかつ目覚め
その一つが「地域福祉」人様の評価はともかく夢を形にする土台作りは出来たよう「お食事とおしゃべり会」「たすけあいの会」など 以上が今までの夢の総括 現在の夢はやはり「一夜の歌声喫茶」と「笑い塾」の再開 何が何でも辿り着きたいもの ささやかな夢です。
こちらも ささやかな懐かしい写真 です
居候を決めた田園都市線中延駅近くのアパートにて
高校三年生 バルコニーにて級友と 右から6番目の控え目
一度だけ娘たちと「登校」 1990年12月30日とあります
小学一年生 担任(福留八重子先生)の左後ろ ローカル色豊か
盛永会の運動会でインタビューされる長女 1991年お盆
「お食事とおしゃべり会」参加者二人を誘い大野山ドライブ
自治会役員を経て町田市議会議員に転身したKさん(右)
では老若男女問わず ♫いつでも夢を ご一緒に
東京では大変な感染者数ですね。
お互い大雨にも気を付けて過ごしましょうか。
夢は追い続けて。