マンゴーしいたけのつぶやき

いわゆる団塊の世代です。40年余の東京暮らしを経て、生まれた古里で織りなす珍道中の「つぶやき」になりそうです。

~春よ来い~ 17回目の「歌声喫茶」

2016年01月27日 17時20分20秒 | 日記

【南の島に雪が降る】(昔々の映画) まさか?そんな週の始まりでした

西の都はパラパラ程度でしたが 実家のある都城盆地は所によっては深々と大雪

今も断水の続くえびの市では 日常生活も大変な様子が報道されています


雪といえば 以前に生活協同組合の個人宅配に従事したころの話

2つの配送センター(厚木と相模原)の配送業務を統括する立場にいました

まさにこの季節は雪との格闘 市内は雨でも山梨県堺の山間部では雪の時も

センターよりタイヤチェーンで幹線道路を走ると当然切れるので 現地で装着

配送車は1.5トンですが女性スタッフも多く 雪道での配送業務は難儀の極みでした

脱輪したり アップダウンが厳しく組合員宅まで辿り着かなかったり悪戦苦闘の連続

救いは従事した10年の間 雪道の配送でスタッフの誰一人ケガが無かったこと

今あらためて当時のスタッフの皆様にご苦労様でした ありがとうです

(余談ながら 当時津久井郡の「野武士」さんという苗字にはビックリでした)

 

えびの市の給水が一刻も早く正常になることを願って 

すこし『一夜の歌声喫茶』の宣伝を

今「西都レク」では2月28日の【まちなか地域福祉まつり】への準備(参加)と並行して 

2月11日の第17回『一夜の歌声喫茶』昼間版の準備にバタバタしているところ

今回も福祉施設からの参加や 高校生による伴奏の可能性もあり一段と楽しみに

伴奏者との打合せでは冬の歌やリクエストが出そうな曲をピックアップしたところ

いくらプロでも 220曲(「西都レク」オリジナル歌集)を瞬時に伴奏は厳しい(?)


例えば・・・

♪スキー ♪冬の夜 ♪春がきた ♪銀色の道 ♪カチューシャ 

♪星空に両手を ♪二人は若い ♪チャンチキおけさ ♪ふるさと

♪北国の春 ♪思い出のスカイライン ♪お座敷小唄 ♪花

♪青い山脈 ♪亜麻色の髪の乙女 ♪真夜中のギター ・・・

あとは当日のお楽しみ

予約申込みも今のところ順調です


 

 



寒さが厳しいこともあり 勤務するデイサービスでも体調不良の方がちらほらと

お互いに「春よ来い」でこの厳寒を乗りきりましょうか

ではまた ごきげんようです。


 






 



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『移住』 希望? 望郷? 終活?

2016年01月10日 18時41分21秒 | 日記

読売新聞の『新しいふるさと あったか移住』の連載が終了しました

そこには若い世代が格闘しながらの「夢」がありました

宮崎県が進める『移住』のおそらく望むカタチ


一方 我が西都市レクリエーション協会のメンバーの半分も『移住』者

『移住』の動機はそれぞれ

また「一夜の歌声喫茶」の参加者にも『移住』の方が少なくありません

仕事をリタイアしての あるいは高齢になってのUターン

理由は「親の世話」? 「望郷の念」? それとも?

このカタチの『移住』は悩ましく深い葛藤も


1990年代介護保険法もないころ 都会では「呼び寄せ老人」現象がありました

いってみれば『移住』のさきがけ

田舎で老いていく親を都会で働く子どもが呼び寄せて暮らすという社会現象

1993年には町田市から(全国初の調査)

・・・「呼び寄せ老人」は沖縄から北海道に至り 大半が健康に悩み 家族以外の友人もなく 家に閉じこもりがち・・・という実態が発表されました


以前住んでいた町田市の団地で1995年2月にはじめた「お食事とおしゃべり会」

この取組が そんな方々の居場所になったり 友人と出会う場であったことも事実

あわせて4年後にスタートした「藤の台たすけあいの会」

この運動が そんな方々も含めた生活支援であったことも事実

(もちろん二つの活動は 今も「ふるさと創り」に熱心な人達により継続されています)

 

こちらに『移住』してはじめた「一夜の歌声喫茶」

その参加者同士が仲良くなって「お茶会」をはじめたりで

なんとなく「お食事とおしゃべり会」にも似てきました

一人で「一夜の歌声喫茶」に来れない方のための「送迎付き参加」

このケースは生活支援の運動の「入り口」の感じがしています


他方 知り合いの一人は 両親の世話のためにやむを得ず故郷に帰ったり

もう一人は 故郷に帰ってはみたけど なじめなく都会に戻ったりと

『移住』の二文字に 他人にはうかがい知れない葛藤があります


小生も宮崎県人ではありますが 生まれたところは都城市 カミさんは高原町

なのでここでは立派な『移住』者 別名「ヨソモノ」→「ヨソモン」

その「ヨソモン」はいま36世帯の自治会で 会計+班長の任務

今日は斜向かいにあるここの公民館新築の上棟式

「せんぐまき」(散供まき)で朝から準備 まくものは紅白の餅 

その昔は神仏に供えるため 米や銭をまいていたとのこと 

小生もともと風来坊的 そのためここでも大きな違和感はない暮らしです

(都城市→名古屋市熱田区→大阪市大正区→東京都大田区→品川区→世田谷区→町田市→西都市)



その「せんぐまき」の様子 

紅白のモチを屋根から投げます

 

陽織も三人でモチ拾い(はじめて)

老若男女 みんな良いことがありますようにと

公民館を庭より

 


来週は1日かけて農道の草払いと畦焼き(野焼き) 

これで本年度の大きな自治活動はおしまい

となり町でデイサービスの仕事・西都市でレクリエーション活動・住まいのある集落で自治活動 地域に足場を築くために 居場所を確保するために前進あるのみ

高齢な『移住』者でも 充実感や達成感をそれなりに味わうことはできます

うまく整理できない『移住』ですが 今日はこれにてごきげんようです。

 


 



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『新しいふるさと  あったか移住』

2016年01月06日 18時13分03秒 | 日記

 標記のテーマで元旦より読売新聞の連載が始まりました


「宮崎の魅力にひかれて移り住む人が増えつつある。その土地への思いは強く、地方創生の担い手となる可能性を秘めている。地域の人たちにとっても、移住者の活躍は、故郷のよさを再発見するきっかけになるだろう。県は2019年度までに1200世帯の移住者を呼び込む目標を立てた。新しいふるさとへの思いを聞こうと、一足早く移り住んだ人たちを訪ねてみた。」とあります


現在進行形ですが 私たち家族のが昨日載りましたので 

 他のケースも合わせて紹介いたします

但し我が家の女性軍は「年齢不詳」という処理をしております(御免)

 

  

私たちのは5日の掲載でしたが その夜  西都市の橋田市長から「読んだよ」の電話

いつも気にかけてくれる気さくな市長です 

「一夜の歌声喫茶」にも このところ連続して顔を出してくれています

その橋田市長 「西の都をどげんかせんといかん」という気持ちの表れの一つが

「県外から西都市に移住してきた女性の会」の主宰・・・略称「E自由(移住)クラブ」

カミさんも娘もそのメンバー

私は軽トラで「出勤」し市役所の周りをゴミ拾いもする庶民派のそんな市長の大ファン

では 引き続き他の家族の記事を

 

 

 

 

 

 そもそもこの連載記事のきっかけは 10月の「一夜の歌声喫茶」の取材

(その前日 宮崎駅前で大きな交通事故があったため記事にはなりませんでしたが)

「一夜の歌声喫茶」のお陰で色々と枝葉が広がります

「一夜の歌声喫茶」で知り合った「お客さん同士」で「お茶会」があったり・・・

本当に 「縁は異なもの味なもの」です

悩ましい『移住』についての整理は まだ後で


では 今日はこれでごきげんようです。



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賀正です。

2016年01月03日 17時18分00秒 | 日記

 

新しい年が始まりました

皆様いかがお過ごしでしょうか

そろそろ働き蜂の日常も始まりでしょうか

小生は5日から デイの正月休みは助かります

前職は精神障がい者のホーム なので正月も職場でした

その前も生活協同組合のセンターで わびしく正月を迎えていました

かき入れのおせち料理の宅配エラーの待機で 元旦の昼まで

ホーム入居者だった方や 個人宅配のスタッフだった方

そんな方からの年賀状に 今年は感無量の元旦


年の始のブログですが フェイスブックを始めた友人用に書いてみます

小生もフェイスブックがあるにはあるのですが 時たまこのブログを転載するのみ

フェイスブック上の「友人」(届け先)は只今3人 

大阪のこの友人・『うみがめのたまご』のFさん・日産(クルマのリース先)のSさん

フェイスブックの仕組みが理解できない上 ズボラで「まぁ いいか」そんなところ

さて彼と出会ったのが40年以上も前 互いに学生だった頃

新宿京王プラザホテル近くの日雇い仕事斡旋所からのバイト先

多分 南武線の溝の口駅の荷役(日本通運)の仕事

後々 二女がこの駅の近くの音大に通うことになる思い出の駅です

その彼 兎にも角にも豪快 天衣無縫 天真爛漫(良く言えば)

「イタリアの石畳を歩きたい」と焼津からマグロ船で出かけたり(船乗りとして)

降りた駅でバイトしながら北海道を一周したり・・・武勇伝の青春

近年でも

この家のリフォームのため 大工道具一式積んで大阪より来てくれたりのワイルドさ

(知らない間に大工の棟梁になっていたのには驚き)

ただ繊細な面もあって 娘達を小さいころ上京しては可愛がってくれました

その一面がこの服 (彼からいただいた服・・・30年以上も前)

真ん中が長女 左右が今日写した孫の陽織 (長女の娘) 

同じ服を 長女・次女・孫娘と繋いでいます


  

陽織の母親が右 片方は妹

その妹(二女) 私の好きな写真

小学生の頃 長女が仲間を募って始めたサークル

ソフトボールサークル「ピンキーズ」

カミさんが監督 私がコーチ

10年 完全燃焼でした

(ユニフォームも無い頃 できたて ホヤホヤ)

ヴァイオリン弾きの卵(二女)が孵化して今

その音色で平和な刻を奏でています 

うらやましい仕事人となりました

姉妹と従姉妹

 

顔写真の「削除命令」がくるのは時間の問題

以上 年賀状の代わりに近況まで

お元気で


では どちら様もごきげんよう

今年もよろしくお願いいたします。

 


 


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