同聚院は、1006年(寛弘3年)に藤原道長が法性寺の境内に造営した五大堂の遺跡です。
本尊は定朝の父・康尚の作といわれる不動明王は「十万不動」と呼ばれ、火災除けのご利益があることで有名です。毎年2月2日「十万」の字を書いた護符が授与されます。
同聚院
臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭の一つである。
東福寺の寺地一帯は,平安時代中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘三年(1006)には,藤原道長が四十歳の賀に当たって、五大明王を安置する五大堂を境内に造営した。
その後も,藤原氏が法性寺の造営に力を入れたが、鎌倉時代初期には衰微し、その跡地に九條道家が東福寺を建立したのである。
本寺は藤原道長が建立した五大堂の遺跡で、五大明王のうち不動明王坐像(重要文化財)が幾多の災害を越えて祀られている。
像は仏師定朝の父・康尚作品で、像高は265センチメートル、忿怒相の中にも優美さをたたえた藤原美術の代表彫刻の一つである。
「じゅうまん不動」と称され、「じゅうまん」の字を書いた屋守護(やさご)の符が配布されている。
「じゅうまん」は土地の守護を表す「土力(どりき)」又は、十万の一族・従者を従えるという意味の「十万」の二字を一字にした文字といわれ、火除けをはじめ除災の霊験あらたかな不動として信仰が深い。
京都市
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本尊は定朝の父・康尚の作といわれる不動明王は「十万不動」と呼ばれ、火災除けのご利益があることで有名です。毎年2月2日「十万」の字を書いた護符が授与されます。
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臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭の一つである。
東福寺の寺地一帯は,平安時代中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘三年(1006)には,藤原道長が四十歳の賀に当たって、五大明王を安置する五大堂を境内に造営した。
その後も,藤原氏が法性寺の造営に力を入れたが、鎌倉時代初期には衰微し、その跡地に九條道家が東福寺を建立したのである。
本寺は藤原道長が建立した五大堂の遺跡で、五大明王のうち不動明王坐像(重要文化財)が幾多の災害を越えて祀られている。
像は仏師定朝の父・康尚作品で、像高は265センチメートル、忿怒相の中にも優美さをたたえた藤原美術の代表彫刻の一つである。
「じゅうまん不動」と称され、「じゅうまん」の字を書いた屋守護(やさご)の符が配布されている。
「じゅうまん」は土地の守護を表す「土力(どりき)」又は、十万の一族・従者を従えるという意味の「十万」の二字を一字にした文字といわれ、火除けをはじめ除災の霊験あらたかな不動として信仰が深い。
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泉涌寺の塔頭から戻る形となりました(^^ゞ