日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

福山城(1)

2016-03-02 | 
福山駅に降り立つと、駅前に福山城の石垣がそびえたっています。



福山城は、1622年(元和8年)水野勝成が備後10万石の領主となって築いたお城です。

水野勝成像




水野勝成之像

  瀬戸内海の中央、福山湾岸に河口を開く芦田川。その広漠たる干潟を埋めて
  城下町とし、ここに城を定む。
  水野勝成は元和5年(1619)備後10万石の藩主に封じられるやこの町を開き
  福山と命名す。

  移封以来民政に意を用い、広く領内に池溝を開削し、干拓を行い耕地の拡大に努め
  芦田川を改修し水道を穿ち藩政の安泰に力を尽す。また社寺を復興し、文化の昴揚を
  図り今日の福山の礎を築く。
  
  市制60周年の記念すべき年にあたり銅像建立を発起し、先人の遺徳を偲び
  明日への躍進を誓う。     昭和53年4月建之


形式は輪郭式の平山城で、かつては2重の堀、五重の天守と7基の三重櫓を有する大規模な城郭であったそうです。
昭和20年8月、空襲により天守閣などは消滅しましたが、現存する伏見櫓・筋鉄御門は国の重要文化財に指定されています。



筋鉄御門


本丸の正門に位置する櫓門。「筋鉄」の名称のとおり、1階の扉や門柱に筋状の鉄板が打ち付けられています。

鏡櫓




月見櫓


再建。伏見城の櫓を移築したといわれ、2層目には廻縁があり展望台の機能を持っていました。
明治初期に取り壊され、跡地には明治21年(1888年)「葦陽館」と呼ばれる貸会場が建てられましたが、福山大空襲で焼失。現在の月見櫓は昭和41年(1966年)に天守と同時に鉄筋コンクリートで再建されたものです。



御湯殿




再建。表居間と共に伏見城から移築されたといわれる建物で、懸造の座敷(展望室)と湯殿(蒸風呂)からなり、かつては本丸御殿の大書院と廊下で繋げられていました。
上段の窓から城下南側を一望できるようになっていたそうです。
この建物は大正時代ごろから「御湯殿」と呼ばれるようにうなりました。



鐘櫓


一部現存。福山市指定重要文化財(鐘楼部のみ)。
2層2階建てで、築城時に建てられました。
近世城郭で唯一本丸内に位置する鐘櫓とされ、往時は鐘突堂と呼ばれ、御台所門と火灯櫓とを結ぶ多聞櫓(枡形門)に設置された鐘楼でしたが、廃城後に取り壊されました。




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6 コメント

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福山城! (willy_tsuguo_shikata)
2016-03-03 05:35:35
福山城は、元和8年(1622)水野勝成が備後10万石の領主となった時築城した城で、「名君の城」として知られていますね!
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四方さんへ (しずか)
2016-03-03 10:55:44
空襲による焼失を免れた伏見櫓や筋鉄御門が現存するのは素晴らしいことですね!
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こんばんは。 (Minoru)
2016-03-07 20:15:52
 算木積み、打ち込み接(はぎ)の石垣を見るだけで楽しくなります。櫓門は切込み接(はぎ)でしょうか。
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Minoruさんへ (しずか)
2016-03-08 01:02:12
こんばんは!

福山城の石垣には、乱積、 布積、野面、打込接、 切込接の5種類が使われているそうです。
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Unknown (そば打ちおじさん)
2016-03-09 01:44:33
福山は10万石ですか、少なかったんですね。でも米どころではんかったかも。
でも福山のお城は前に新幹線が走っているので、有名ですよね。
返信する
そば打ちおじさんへ (しずか)
2016-03-09 10:48:36
福山は、新幹線で通り過ぎるだけで、初めて降りたのですよ。
駅の前にお城って珍しいですよね!
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