日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

松平直政公像

2013-07-14 | 銅像
松江しんじ湖温泉からバスに乗り、県庁前で降りると、県庁広場に松江藩の初代藩主・松平直政公像の像があります。



松平直政公像
 松江藩主は、堀尾三代、京極一代、松平十代である。松平家初代の直政公は、富国・安民・質素・節財等の大綱を示し、藩政の基礎を固めた。
慶長19年(1614)大坂冬の陣に際し、母 月照院は、14歳で初陣する直政に対し「君は徳川家康の孫で、父 結城秀康は名将である。父に劣らぬ奮戦をせよ」と励まし、馬印(隊旗)を縫って与える。越前隊と加賀隊が先を争って真田丸に進むが、弓銃が激しく撤退する。その時、一将が進み出る。見れば直政である。従士の天方通総(あまかたみちふさ)は馬を止め矢表に立ち「大将が先がけるとは何事ぞ」と諌めるが直政は更に進む。通総は再び矢表に立ち塞がる。何度も矢表を争う主従を見た城将 真田幸村は、直政の勇気と従士の忠義を賞し、弓銃を撃たせず、主従の武士道の誠を讃え、櫓より軍扇を投げ与える。
この美談徳目は、時代を超えて輝き、郷土の先人は感嘆し銅像建立へと進んだ。明治2年に米原雲海作の直政公初陣像が松江城本丸に建立される。昭和18年戦時により供出される。
その後、再建の機運が高まり昭和52年、松平直政公銅像再建委員会が設置され、平成20年、同建設委員会が設置される。銅像製作は、二科会理事の倉澤實氏による。

平成21年11月吉日 松江開府400年祭・市制施行120周年事業

松平直政公銅像建設委員会・松江市

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浅草寺(3)瓜生岩子像

2012-05-27 | 銅像
瓜生岩子像


 
 瓜生岩子(うりゅういわこ。1829~97)は福島県会津に生まれ、その半生を社会福祉事業にささげた。児童教育や女性・貧民救済などの社会福祉事業の推進に努め、晩年の明治29年(1896)には、藍綬褒章を女性としては初めて受賞している。
 
この像は、岩子の善行をたたえ、実業家の渋沢栄一(1840~1931)らの助力のもと、明治34年(1901)に完成した。教育家として女性の地位向上に尽力した下田歌子(1854~1936)の撰文が台座に刻まれている。
(浅草寺HPより)

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赤い靴の女の子の母子像

2011-10-24 | 銅像

久能山東照宮見学後、静岡駅方面のバスを待つ間、富士山が見えるという展望台まで行ってみました。






ところが・・・この日は晴れていたのですが、富士山はぼんやり山頂が確認できる程度で




アップにしても




真ん中に浮かぶ三角がおわかりになりますか?

これなら、新幹線からの眺めの方がはっきりしてるわ

近くまで行っても、雲が多いと見えないのですね~



展望台には、赤い靴の女の子の母子像がありました。



赤い靴の女の子のモデルとなった「岩崎きみ」ちゃんは、静岡市清水区で生まれました。
2歳の時に母かよと函館に渡りましたが、生活が厳しく、母親に再婚の話がもちあがると、3歳の時にきみちゃんを米国人の牧師夫妻に預けました。牧師夫妻はきみちゃんを連れて渡米する予定でしたが、不治の病にかかったきみちゃんを連れて行くことができず、次に預けられた東京麻布の孤児院で9歳という若さで亡くなってしまいました。
母かよは、娘の死を知らずに亡くなってしまいます。
童謡「赤い靴」では、「異人さんに連れられて行っちゃった」と、きみちゃんが渡米したと思っていた母かよからの話をもとに、野口雨情が書いたものとなのだそうです。

昭和61年、日本平山頂の展望台に「赤い靴の女の子母子像」が建立されました。


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