自分の好きな楽曲を、どうしてそれが好きかということを、言葉で表現する作業というのは、実に難しい。いや、そんなことをするのは、ヤボだともいえるかもしれない。「好きだから好き!」が実は一番シンプルでわかりやすい。
吉田拓郎の「イメージの詩」は、私の親の世代から見ると、「ごちゃごちゃとワケの分からない言葉を並べ立てた変な歌」ということになるかもしれない。いや、私の子供の世代から見ても、実際、意味不明かもしれない。だが、この曲の言葉の奥にあるスピリットには、私のココロの琴線を鷲摑みにする、何かがあったのだ。
♪空を飛ぶのは鳥に羽根があるから
ただそれだけのこと
足があるのに歩かない俺には
羽根もはえやしない
いやあ、コレが、深い。つまりこの歌詞は、犬の散歩やウォーキングを奨励するとかいう即物的なことではなく、もっと抽象的に精神的なココロのあり方を指しているのだと私は思っているが、そんなふうに言葉で説明するのは、それこそヤボである。結局はこの歌を聴いたときに、その人なりに、そこに何かを感じ取るしかない。
たとえば、「人生を語らず」という曲にも共通するスピリットがある。
♪朝日が昇るから起きるんじゃなくて
目覚める時だから旅をする
越えて行け そこを 越えて行け それを
つまり、この曲は、「足があるのに歩かない俺」を、自ら鼓舞して歩こうとする、自分への応援歌なのだ。
こんなことを字面で私が語ったからといって、それが全て正しいワケではない。大事なのは、アナタがその歌を聴いた時に、なにをどう感じるかということに尽きる。ただ、最近歌を聴いて、そういうどうでもいいようなことを考えることが少なくなってしまったということに、私は精神的に老いてしまったと痛感させられるのである。と同時に、そういう歌も、少なくなってしまったような気もする。私が昔のように貪欲に音楽に対峙することが無くなったからそう思うだけかもしれないが・・・
ああ、野暮なエントリーになってしまった。まさに、「モノローグ」だ。
↑浜田省吾ヴァージョン。これが、また、イイ。
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