★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

国民の父母とディレッタント

2023-05-01 23:25:58 | 思想


曰、國君進賢、如不得已、將使卑踰尊、疏踰戚、可不愼與、左右皆曰賢、未可也、諸大夫皆曰賢、未可也、國人皆曰賢、然後察之、見賢焉、然後用之、左右皆曰不可、勿聽、諸大夫皆曰不可、勿聽、國人皆曰不可、然後察之、見不可焉、然後去之、左右皆曰可殺、勿聽、諸大夫皆曰可殺、勿聽、國人皆曰可殺、然後察之、見可殺焉、然後殺之、故曰國人殺之也、如此然後可以爲民父母。

賢者を君主が用いるのはやむを得ずの場合に限る。疎遠な者を使うことを懼れよ。部下たちが賢者と言っても用いてはならぬ、国民が賢者だと言ったら初めて用いるべし。用いてはいけないという判断の場合も同じね。もちろん、殺すべし、という判断の場合も同じです。だから「国民が殺した」と言え、はじめて国民の父母になれます。

君主は国民の判断を最終的な材料とすべし、みたいなことであろうが、最後の国民が殺したということになる、そして国民の父母となる、みたいなところに妙にリアリティがある。賢者みたいなものの登用は危険を伴う、その場合には、国民のいうことを信じて国民のせいにすると、その判断者は、支配者と言うより「父母」のようなものとして収まりがつくから、と言っているように思える。

思うに、共同体における判断というのは、正しいのか正しくないのかみたいな観点を推し進めるとなにか闇に墜ちるところがある。判断というのは風景を持っていないからだ。夕暮れにどこかの村に迷い込み、闇の帳が落ちそうなときに、覚悟を決めて「ここは何処ですか一晩納屋にでも泊めてください」と木戸を叩くと自分の家に着いてたみたいな夢をときどきみるが、わたくしが、いつも観念的な思考をしていることと関係があると思う。木曽の生まれだからでは必ずしもない。闇の中で家族的なものに漂着することは、真偽の敗北であり必然でもある。なぜ、孟子は、国民の判断について闇とは感じないのであろうか?

私は、研究書や論文を読む前にそれが論じている対象を読んでから、というやり方をずっとしてきてはいるのだが、ちょっと体力的にきつくなってきている。しかし、これができなくなってくると、作品が消え観念だけがやってくるきがする。いまは、研究が多く作品が消えている世界である。西洋の知でも東洋の知でもいいが、それが作品ではなく、論として提示され続けている。ある種のテキストの復興現象ともみえ、ある種の「啓蒙」時代であることはたしかであるが、それが人間の復興ではないところが心配だ。研究者を含めたオタク気質の人々が論に縛られるようになっている。

大事なのは、ディレンタントであることの意味についてよくよく内省することである。人文系の人々は、好事家的なものについてよく考えるのをやめておかしくなる場合が多い。娯楽はたいがい娯楽性のみで娯楽が目的であると主張することは出来ないので、受け取る側がある種の強固な論理を保持している必要がある。そんな状態を歴史的にどこまで遡ることができるか、が文学を論じる職業人としてのわたしの疑問だ。確かにそんなことはどうでもいいと言えるかも知れないが、もうちょっと内省が必要な人々は多い。娯楽こそが、政治的なツールなのはいつの世でもそうだからである。

研究でも批評でも、その進歩というのは欠点をなくしてゆくことと必ずしも一致しない。実態としては議論の豊かさみたいなものの方に近いと思われる。だから、議論がやせる説というのはそれこそ何か間違っているのが経験上言えることだ。しかしながら、現実は常に欠点じみたいなもの議論を誘発してしまう。結局、書かれたものが創造的であるか否かだけが問題だ。しかしそれは議論になることはすくねえね。それは卓越的な人々によって、ほそぼそとつながっていくだけだ。その時に、平凡な我々が彼らの創造性に触れるべき赤い糸は、デレッタント的で感覚的な認識である。確かに「イイネ」連発の文化は、それを直観していたとも言えなくはないと思う。これは、馬鹿の承認欲求だけによるものではなかった。

唐木順三の『仏道修行の用心』を読むと、わかりやすすぎて何だか身心脱落出来た気がしたが、――昔の人は、感覚的なものをそぎ落とさずに概念を啓蒙するのが上手かったようだ。少なくとも、啓蒙の困難と愉悦を知っていた人は多かった。