★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

今日ものんびり生きていこう

2023-05-12 23:34:12 | 思想


孟子曰:「然。夫時子惡知其不可也?如使予欲富,辭十萬而受萬,是爲欲富乎?季孫曰:『異哉子叔疑!使己爲政,不用,則亦已矣,又使其子弟爲卿。人亦孰不欲富貴?而獨於富貴之中有私龍斷焉。』古之爲市也,以其所有易其所無者,有司者治之耳。有賤丈夫焉,必求龍斷而登之,以左右望而罔市利。人皆以爲賤,故從而征之。征商自此賤丈夫始矣。」

孟子は、ある商人が利益を独占しようとしたために、国家が再配分を始めたのだ、そのことを自覚せよというのだが、いまとなってはその起源論自体は信じがたくなっている。こういうことにかんしては、みんなが話題にし始めると、自分になぜ富がないのかという話に移行してしまうのであって、富はいらないと言っている孟子だから言う権利があるというものだ。資本主義と国民国家の合体したシステムでは、個人が富をひたすら目指して国家の制度をゆがませることを防ぐ手段は、根本的にはないといってよい。

大学時代、学園祭に、先日なくなったのっぽさんがやってきた。講演会でたくさんしゃべっていた。ふだん喋らない人だったから信用がおけるきがした。気がしただけである。――しかし、のっぽさんの存在は饒舌であることの怪しさをまだ戦後社会がおぼえていた証拠ではなかろうかと思った次第だ。

勉強のテンポを強制してるのが、学生の力の伸びない原因だ、当たり前のことである。これも、学生に強制的に喋らせるシステムである。学生にも沈黙が必要である。当為で発言を強制してばかりいるから、主体性が死ぬのである。主体性を強要する暴力がずっと働いているとずっと私はいっている。

西田幾多郎は、『一般者の自覺的體系』で「存在價値は當爲價値を否定する毎に高まるのである」と言っている。今日ものんびり生きていこう。