★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

The Hustler

2012-06-27 22:12:13 | 映画


「ハスラー」は好きな映画である。歳を重ねなければわからん映画とはたぶんこういうのを言うのであろう。(わたくしはアホなので、昔この映画と「カクテル」を間違えていたくらいだ。「ハスラー2」でトム・クルーズがでていたので勘違いしていたのであろう)まったく隙のない脚本で、ポール・ニューマンの最後のやや感情的なせりふが浮いて聞こえるくらいである。ハスラーとしてがんばるあまり、恋人からの忠告を無視した結果、彼女の自殺を止められなかった男が、純粋にビリヤードだけに集中してついに宿敵ミネソタ・ファッツ(←誰だよ、この酷い名前を付けたのわw)に勝つ話──この程度に把握していたのだが、一年前に見直したら、全然そういう話ではなかった。人は、敗北しただけでは自分の姿が分からん。人間に対する認識のあるやつが善人とは限らん。勝つためには他人から浴びせられる「負け犬」の烙印を無視しなければならないが、「負け犬」であることの心地よさもあり、しかし、その心地よさを勝つことで乗り越えるだけではあかんし、その場合なにより幸福であるとは限らん。愛による忠告が忠告者本人にとって良いかどうかも分からんし、その忠告の効果は、忠告した側や忠告された側にとって良い時に現れるとは限らないし、その効果を本人達が自覚したからといってそれが幸福であるとは限らん。金や自意識のためでない勝つために勝つことの重い価値となんたる難しさ、とある種の空しさよ……。などなど、なかなか味のある認識が語られているように思う。

予備校の時、便所に落ちてた雑誌に、女の子のビリヤード漫画があったな……

六月学会漫遊記

2012-06-26 22:16:09 | 文学
23日のことである。学会に出席するためエレンスト展を目当てに東京にやてきたのである。

東京メトロの駅で早稲田最寄りに降りたら、あれ?早稲田がない。早稲田通り周辺を迷ってやっとみつけた。



♪都の西北早稲田の森に
聳ゆる甍はわれらが母校
われらが日ごろの抱負を知るや
進取の精神 学の独立←素晴らしすぎる。それを守って頂きましょうか。

現世を忘れぬ←自然主義万歳
久遠の理想
かがやくわれらが 行手を見よや←どこに向かっているかまず教えてほすい

わせだっ わせだっ わせだっ わせd(ゴホゴホゴホッ

2時に始まるというのに、10分前でもあんまり人来てないな……と思ったら、遅れてぞろぞろ。学会ってこんなに時間にルーズだったか?

4人の発表を聞く。内容はあとで勉強し直して考えてみよう……。まあ、過去に学会発表して派手に轟沈したわたくしが言うのもなんであるが、ソフトランディングしようという発表が多い今日この頃である。肝心なところを隠蔽したまま誰かさんが喜びそうな結論に達しても却って研究は遅れてしまう。研究の内実より「どう見えるか」や処世を優先している研究と、そうでないものを見分けるのが、研究者養成をやっている大学教員のつとめであるが、現状はどうであろうか。少なくとも、学会は専門的な話をする場所であるべきだから、予習をし忘れたゼミ担当教員みたいな質問はしない方がよいのではないかとわたくしは思うのであるが……。研究が、端から見ているよりテキストの意外なところに陥穽がひらいているおそろしいものであることは誰もが知っていることではなかろうか。だいたい論文において後々(最近は「かなり後」になるのが問題なのであるが……)問題になるのは、観念的な論の枠組みではなく、テキストの読みの問題であるからして……。テキストを前にすれば我々にかっこつけている閑はなくなるというこっちゃ。わたくしなども、過去のスカした論文の題名といい内容といい恥ずかしいにも程がある。しかし世の中には、もっとスカした連中もいるからわたくしも安心はしていられない。

「遠い夜明け」は続く

2012-06-19 23:47:52 | 映画


勘違い台風のため、かがわ長寿大学の授業が延期になったので、つい「遠い夜明け」を観てしまう。アパルトヘイトを描いた映画の中でもかなり有名なもので、リベラルな白人ジャーナリストのドナルド・ウッズと所謂「黒人意識運動」のスティーブ・ビコを軸に描いているが、後者の虐殺のあとは前者の亡命劇が長くて、ビコの心理や考え方は相対的にあまり描かれない。しかし、それは当然で、ビコは個人ではなく、最後に描かれるソウェト蜂起のなかに生きているからである。ソフィト蜂起のデモの場面はすばらしく、デモ隊はほとんど踊りながら進軍しているように見える。それに静かな鎮圧部隊がいきなり発砲、700人ぐらいを撃ち殺してしまう。

興味深かったのは、その発砲が、司令官が指示したのではなくて、なにやら義憤にかられているような表情をしたとても若い兵士が、指示を待たず自らすすんでやった結果はじまったということである。私は、その表情からして、デモに気圧されて銃を取り落とすかなにかすると思っていたが、まったく逆だった。映画の前半で、悪者として描かれていたのは、警視総監であった。しかし、次第に、指示を受けている下っ端の凶悪な顔が目立つようになる。確かにそうである。彼らははじめは「仕事だから」やっているのだろうが、だからこそ、何でも本気でやってしまうのである。アイヒマンの例や認知的整合性の理論をひくまでもなく、我々の身近な世界でもよくあることである。根本的な自信がない人間の良心に期待することなどできない。自らの身に危険が及びそうになれば、彼はなんでもしてしまう。