★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

口承記憶

2024-09-01 23:42:53 | 文学


 街道には、毛付け(木曾福島に立つ馬市)から帰って来る百姓、木曾駒をひき連れた博労なぞが笠と合羽で、本陣の門前を通り過ぎつつある。半蔵はこの長雨にぬれて来た仙台の家中を最近に自分の家に泊めて見て、本陣としても問屋としても絶えず心を配っていなければならない京大坂と江戸の関係を考えて見ていた時だ。その月の十二日とかに江戸をたって来たという仙台の家中は、すこしばかりの茶と焼酎を半蔵の家から差し出した旅の親しみよりか、雨中のつれづれに将軍留守中の江戸話を置いて行った。当時外交主任として知られた老中格の小笠原図書頭は近く千五、六百人の兵をひき連れ、大坂上陸の目的で横浜を出帆するとの風評がもっぱら江戸で行なわれていたという。これはいずれ生麦償金授与の事情を朝廷に弁疏するためであろうという。この仙台の家中の話で、半蔵は将軍還御の日ももはやそんなに遠くないことを感知した。近く彼が待ち受けている大坂御番衆の江戸行きとても、いずれこの時局に無関係な旅ではなかろうと想像された。同時に、京都引き揚げの関東方の混雑が、なんらかの形で、この街道にまであらわれて来ることをも想像せずにはいられなかった。

藤村は、おおがかりに自分が視覚的に見えていないものを書いていて、彼が得意だったスケッチからいっても大きな賭だ。維新自体がそういう運動だったのかもしれない。この作品にあふれている、時局にまったく手の届かないかんじは重要だとおもう。自分たちに時局が及ぶと、ある意味時局のせいにしているが、時局からは疎外されているのだ。

半蔵達が、時局を感じるということは、どういうことなのか。考えてみると、木曽にいたときだって、情報以外の何かは感じられていたはずであるが、それは眼ではなく噂話だから耳のしわざであった。そして、それを口伝えにすることで、なにか空気が出来上がる。井戸端会議に知性があるかどうかはむかしから議論になっているが、彼らが口で考えているからに他ならぬ。

このまえ、研究者にいつジジェクを読んだかときかれて、つい口が9・11の頃だと思うと言ったが、記憶が言ったのではなかった。さっきファイルを調べていたら、読書記録の中に確かにそのころに読んだとあった。記憶は口にも宿っている。大学の教員は、しゃべりすぎて、記憶を司る何かが口に移っているのではあるまいか。